Unforgettable Days: 「少子化対策」は「共働き世帯支援」で良いのか?

「共働き世帯支援」という観点からの支援策の限界と、「社会で子供を支援する」という発想の重要性を訴える記事。とても説得力があると思う。

ただ、これはすごく論理的なんだけど「家庭の多様化」を前提としている。だから、それが「多様化」でなくて「家庭の崩壊」に見えてしまう人の強硬な反対がなんとなく想像できる。そこを突き崩すには、「古きよき日本の家庭」という現在から逆算してでっちあげられたイメージを壊す必要がある。

そのためには、『<民主>と<愛国>』の家庭版みたいなものが必要かもしれない。

小熊英二さん『<民主>と<愛国>』を語るで、小熊氏は


そして「戦後の日本」は、アメリカに影響された「戦後民主主義」のもとでミーイズムと利己主義が蔓延し、モラルが崩壊してしまった時代であるとされ、それに対照させて「人びとが公に尽くしていた時代」としての戦争や特攻隊が美化されているわけです。

小林よしのりや「つくる会」の戦後観、戦前の日本観を批判し


七人の侍』というのは、戦後思想の心情的な特徴を集約したような映画だと思います。例えば農民と侍の対比ですね。農民は卑屈で、自分では何も決断できなくて、権威に従うだけの存在。それに対して侍は、誇り高く自立していて屈することがない。『〈民主〉と〈愛国〉』を読んだ人にはわかると思いますが、丸山眞男大塚久雄が批判した「封建的」な人間像と、「近代的」な「主体性」を備えた人間像の対比は、まさにああいうものです。

と、「戦後のメンタリティ」を再評価している。

河合隼雄の「『日本の父は強かった』は嘘であって、太母的な精神に勝てないから制度的に補強してバランスを取っていた」とか、「昔の両親は子育てをしてない。若夫婦に期待されていた機能は家庭内の家事労働が第一で、子育ては年寄りの仕事」という話にも通じるような気がする。

「子供への支援と言う発想」は具体策としても重要だが、これへの非論理的な反対論をおびきよせ論破していくことで、「家庭とは何か」についての本質的な論議につなげるような機能もあると思う。