トランプのアカウント停止と「どうしますボス」攻撃

村上龍の「愛と幻想のファシズム」は1980年代にディープフェイクを予言していて、しかもそれは、革命を起こす側の「俺たちはフェイクを使うけど、本当にフェイクで世の中を支配しているのはお前らだろ」という怒りを現実化したアイディアとして描かれていて、凄いなあと思うけど、そのフィクションの中で、フェイクビデオを使って革命を起こそうとしたのは、カッコいい若いカリスマだった。

読んでから30年以上たって、似たようなことが起きて突然それを思い出した。フェイクニュースを活用して大変な騒乱を引き起こしたカリスマの支持者たちは、確かに「おまえらの方がフェイクだ」と言って怒っているが、現実はさらに奇怪で、そのカリスマは74才の不動産屋だった。

これは、書く側でなく受け取る側の想像力の限界で、細部まで正確な予言は理解されず受け取られないということだろう。

従って、これが終わりではなく、我々の想像力を上回る次のトランプが出てくるのは、間違いないと思う。

でも部分的には予想できることもあって、次のトランプは「どうしますボス」攻撃を使うと私は思う。「どうしますボス」攻撃とは、ボケての有名のネタから思いついた私の造語だ。

どうしますボス - 2014年11月07日のその他のボケ[25970758] - ボケて(bokete)

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「どうしますボス」

次のトランプが右になるのか左になるのかわからないが、分断を今回のトランプよりうまく使うことは間違いなくて、分断を憂いてこれをなんとかしようとする人をまず攻撃する。

その攻撃は、「あいつはトランプの一味だ」というレッテルを貼ることだ。これからトランプの残党狩りが始まるので、レッテル貼りがうまく行くなら、これは強烈な攻撃になる。

分断を憂うる人は、たいてい何か難しいことを言うので、それが「どうしますボス」攻撃に対する脆弱性になる。次のトランプは、まずトランプの後継者となり、そういう人たちに「どうしますボス」と言って、無理矢理自分の陣営であることにしてしまうのだ。

そのターゲットの言っている事はよくわからないけど、残党が「どうしますボス」と言うのだから、あいつは多分トランプの一味だろうということで、残党狩りによって、その人はものを言うことが難しくなる。そういうことが何回か起これば、包摂を志向する人はビビって簡単にものが言えなくなる。

そういう方向に状況が極まることは、次のトランプにとっておいしい状況になるだろう。だから、地ならしとして、分断を強化するために「どうしますかボス」を使うと私は予想する。

トランプがもう出てこないようにと念には念を入れてやったことが、全部、「どうしますかボス」の効き目を強化する。

Parler CEO Says Service Dropped By “Every Vendor” Could End Business – Deadline

“Every vendor from text message services to email providers to our lawyers all ditched us too on the same day,”

「テキストメッセージサービスからメールプロバイダー、弁護士まで、すべての業者が同じ日に私たちを見捨てました」

「同じ日に」というのがポイントで、これは保守派向けの Parler というSNSのCEOの発言だが、このSNSが暴力的な扇動を呼びかける書き込みを放置して、具体的な暴力事件をたびたび起こしているなら、警戒されるのは当然だ。

しかし、「同じ日」に切られたということは、これらの多くの業者が、Parler の運営方針をしっかり吟味して問題点を確認した後に、その決断をしたわけではなくて、「GoogleAmazon に切られたヤバい奴」というレッテルで反射的に反応していることを意味している。

あるいは「ここと取引していると自分たちも GoogleAmazonTwitter に切られかねない」と思ったのだろう。私だってその会社と取引していたら同じように考える。

こういうレッテル貼りと波及効果によって、トランプの残党狩りが進むとしたら、それを次のトランプは喜んでいるはずだ。

Twitterは、最後通告後のトランプの「いったん家に戻れ」「法律を守れ」という発言を、そのまま受け取らなかった。「これは支持者が扇動と解釈する余地を残している」というのだ。私もこれは正しい判断だと思うのだが、問題は、これが正しいかどうかではなくて、その正しさがどのように担保されているのか、ということだ。

この解釈の正しさは、「トランプがどういう奴か」ということで担保されている。私も、あの状況でトランプの発言をそのように解釈することは正しいと思うが、他のユーザの発言を同じように曲解して Ban したら、「ちょっと待てよ」と思うだろう。何を言ったかより誰が言ったかの方が重視されている。

だから、自分が考えていることや言っているが、トランプと正反対であっても安心できない。次のトランプは、あなたが言ったことでなくあなたが誰であるかに焦点を当てる。あなたを「発言を曲解されても仕方ない人」にしようとする。「Twitterに Ban された人間と同等の人」にしようとする。

あなたがこの状況を憂いているなら、それがそういう攻撃にとっての脆弱性になる。

私もまさにこの状況を憂いている一人で、しかも、私は、長文悪文の何言ってるかよくわからないブログをたくさん書いている。適当なエントリにリンクして「こいつはトランプの一味だ、ほらこのエントリを見てみろ」とか言われたら、自分でもそうかと思ってしまうかもしれない。ちょっと怖いので、私はナイキの運動靴を買うことにしよう。

上から下まで安物を着たムサイ運動音痴のおっさんが、足元だけピカピカのナイキを履いた写真を上げたら、ナイキには迷惑だと思うが、背に腹は変えられない。

いざという時に、この写真を出して「私は、ナイキの姿勢に早くから共感していました」と言えるようにしておこう。

そういうブランドイメージが、私のような者に訴求することは確かだ。ナイキ自身はそんなことを考えてもいないし、歓迎もしないだろうが、純粋にビジネス的な判断としてそういう観点で考えた上で、似たようなことをする会社は出てくる。そうすれば、運動靴だけでなく、上から下までそういうブランドでキメることもできるし、そういうガイドブックとかセット販売も出てくるだろう。私のような人たちがそういう商品を買いまくるから、その戦略の優秀さも知れ渡るだろう。

そうすると、「どうしますボス」攻撃をくらった時に、ナイキ以外を履いているとそれだけで印象が悪くなる。ナイキの競合各社は、ナイキがやったことをもっと極端にやるしかなくなるではないか。

「何を言ったか」より「誰が言ったか」が重視される世界では、誰もがブランドイメージで身を守るしかなくなるのではないだろうか。

そして、「誰が言ったか」だけを考えている人が集まって、結局はブランドイメージも棄損される。

今のアメリカの状況は、治安維持の問題として考えるしかない状況で、緊急避難として「誰が言ったか」で動くしかないのかもしれない。

でも、どこかで「何を言ったか」に立ち戻ることは必要だ。トランプとトランプの支持者がモノを言えるようにして、一つ一つの「何を言ったか」を問題にすることが、「次のトランプ」にとって一番困ることになるだろう。

治安維持目的の特定発言削除や一時的 Ban でなく、永久 Ban で口を永遠に塞ぐというのは、どういう場合にも悪手だ。それをしたら、人間はレッテルに引きずられて、レッテルを巡る判断をうまくハックする奴が出てくる。

言わしておくしかないのだ。好きに言わしておいて反論するしかない。

扇動者は変な方向に天才的なので、言わしておいたら、ああ言えばこう言うで議論に決着はつかない。でも決着が着かない場があるのはいいことで、そのコストはいつか報われる。変な方向の天才は議論をハックするのも得意だが、それよりずっとレッテルをハックする方がうまい。レッテルはいつかハックされ、大きな間違いをおかす。小さな間違いを潰せば潰すほど、いつか起こす大きな間違いはより破滅的なものになる。

言論というのは、そういう意味で本質的に多元的なもので、決着が着かないことに意味がある。

ものすごい勝手読みかもしれないが、アレントが、ワークという一元的価値観の領域と、アクションという多元的価値観の領域を分離しろと言ったのは、達見だと私は思っている。