進化心理学をちょっと齧って思ったこと

進化心理学の本を何冊か読んでみて、これは大変面白い分野だけど、ちょっとモノの言い方を間違えてると思った。言い方が悪くて受け入れられてないように感じて、もったいないと思ったので、それについて書いてみたい。

まず一番の間違いは、進化心理学ではすぐに「人間はこうだ」と言いたがる。これは、典型的な「主語が大きい」言い方だ。

進化心理学が本当に言っていることは、人間全部についてでなく一部の人間についての話だ。

昔々あるところに兄弟がいた。長男がカインといい、次男がアベルという。カインは嘘つきでアベルは正直者だ。これを見て、進化心理学は「人間は嘘つきだ」という。

たとえば、この本にそんなことが書いてるが、本当にこの本が言っているのは、「カインは嘘つきであなたはカインの子孫だ。なぜなら、アベルには子供がいなかったからだ」ということだ。

しかも、カインはただの嘘つきではなく自覚のない嘘つきだという。カインは自分が嘘をついていることを知らないという。

俺は、由緒正しい血筋の生まれなので、そんな恥知らずな先祖はいないと思った。誰だってそう思うだろう。先祖を貶されていい気分になる人はいない。ここは、もう少し丁寧にいうべきだ。

カインが嘘をつき自分でそれを嘘と思わない確率は51%、アベルが同じことをする確率は49%。カインもアベルも二人の子供がいて、親の遺伝子を受け継いで、ちょっとだけ変異がある。カインの長男が嘘をつきそれを嘘と自分で理解しない確率は52%、カインの次男は50%、アベルの二人の子供はそれぞれ、50%と48%。以下同様に親の遺伝子を受け継いて少しだけ変異する。

あなたがカインの一族であるかアベルの一族であるか、その確率は、それぞれの子孫が生き残った割合に比例する。カインよりアベルの方が生き残る確率がちょっとだけ高くて、カインの子孫が51億人、アベルの子孫が49億人。断言はできないが、あなたがカインの子孫である確率はアベルの子孫である確率よりちょっと高い。

こんなわずかの違いの話だ。でも、このような淘汰を何百世代も続けると、カインの一族が圧倒的に多くなる。

そして、進化心理学の関心事は、生き残った一族の方だ。人間にはカインもアベルもいて、あなたに兄弟がいれば、嘘をつきそれを自分が認知しない脳の傾向に、ほんのちょっとの偏りがあるだろう。その偏りはあなたたち兄弟の子孫にも受け継がれ、その微妙な違いは、一族の間の平均値の微妙な違いになり、そのことが、生き残り子孫を持つ確率の微妙な違いを生み、子孫の人数が偏る。

進化心理学は、「生き残った一族の人間は」と言うべきところで、「人間は」と言う。これは主語が大きく誤解を生みがちだが、これを勉強する人間のほとんどは生き残ったカインの末裔なので、実用的であるとは言える。

だから、進化心理学の本に「人間とは」と書いてあって、それにムカついたら、「人間にはカインもアベルもいる」と反論していいと思う。「そして、俺はどちらかと言えば、アベルの方に興味がある」と言ってその本を投げ捨ててもいいと思う。

でも、生き残った人間に関心がある人には、役に立つ。

そして、脳の偏りが生き残り子孫を残す確率に本当に影響するかどうか、そこは批判的に読めばいいと思う。ただ、「進化」と言うだけあって、ものすごく気が長い話をしている。何十万年とか何百万年だ。

そして、そこに第二の誤解がある。

誤解というか説明の順番がよくない。

江戸時代とか平安時代ならまだしも何十年も前の先祖と言ったら、ほとんどサルだろう。サルじゃなくても狩猟採集だろう。それはいくらなんでも現代人とは関係ない話じゃないのか?

俺もそう思っていただが、この本で納得した。

狩猟採集の時代の先祖は、自然環境における淘汰によって、選別された。それはまあ納得する。問題はその「自然環境」とは何かということだ。

サルのような先祖にとっての「自然環境」とは、美味しいリンゴを早く見つけることとか、怖いクマとかライオンから逃げることとか、寒い時に焚き火をたいて暖をとる知恵とか、少ない食料でも生き残る体力とか、そういうことだと誰でも思う。

ところが、サルが原人になって、草原に追い出された時、集団で石投げをすることによって、先祖は突然、強者になったと言う。集団さえ作れれば、先祖にとって自然環境は手強いものではなくなり、けっこう楽勝で生き残れるようになった。

その代わり、集団を追い出されると、単体ではまず生き残っていけない。どんなに腕力が強くても次の石を拾っている間に、ライオンに襲われてしまうし、どんなに足が速くても逃げられない。

だから、先祖にとって「自然環境」とは、ジャングルではなく、集団内の社会的生活だったのだ。

カインはアベルより、足も遅く目も悪く獲物を見つけるのが遅く、石も遠くまで投げられない。でも嘘をつく反射速度が少しだけアベルより早い。それが嘘であることを自覚できないからだ。この二つの個体を原人の「自然環境」におくと、仲間の人望を失い間違って群れから追放される確率が、ほんのちょっとだけ違う。カインの方が追放されにくいのだ。

そのほんのちょっとの違いを複利計算で何百世代、何千世代も重ねたその結果、あなたはカインの子孫であると、進化心理学は言っているのだ。

これはわかってみるとよく納得できる話だが、前提として、淘汰を産む自然環境とは、人間にとってはまず第一に社会的生活である、ということがもうちょっと強調されてもいいと思った。

そして、もう一つ欠けている説明があると思う。これは他にも何冊か読んだが書いてなくて、私が自分で考えたことだ。

それは、群れの中での淘汰と、群れ同志の淘汰の葛藤だ。

群れの中でカインのような口の上手いやつだけが生き残り、それを何百世代も重ねたら、群れの中には社会性以外に取り柄がないやつばっかり残る。そしたら、危険を犯して獲物を仕留めたり、他の群れとの縄張りの取り合いの戦争で働く奴がいなくなる。

そういう群れは、他の、ちゃんと仕事をする奴が生き残っている群れによって淘汰される。

だから、あなたは社会性に全振りしたカインの子孫ではない。

社会性に全振りしたカインは群れの中では生き残るだろう。さらに、カイン同士が生存競争をして、もっとも嘘の上手いカインが多数になっていく。だが、そういう群れは、アベルがたくさんいる群れによって、獲物や縄張りを奪われ淘汰される。

つまり、自然環境の中では、群れの中でも淘汰圧力と、群れ同士の淘汰圧力があって、生き残るのは両方の競争に勝った者だ。

ということは、我々の中には、カインの脳とアベルの脳、つまり、自分が属する社会の外にある、本物の自然や共同体のルールが及ばない他の群れの法則に着目し、それをコントロールしようとした脳が、両方生き残っていて、両者は常に葛藤していると考えるべきではないだろうか。

そして、カインの末裔は文系になり、アベルの末裔は理系になった。

あるいは、カインの末裔は公家になり、アベルの末裔は武士になった。

カインの末裔がワイドショーのコメンテーターになり、アベルの末裔が実証的な研究を今必死でしている。

もし、進化心理学が生き残った人間について述べるのであれば、この葛藤を調停する仕組みについて言及すべきだ。そして、それが脳のかなり深いレベルに存在していることを予見すべきではないだろうか。

これを調停する仕組みは、文字や論理より古く、たとえば脂っこいラーメンを思わず食ってしまうような衝動のレベルで、存在しているはずである。そうでなければ、我々は生き残っていない。

コロナウイルスについてのワイドショーを見ていると、人間の社会脳に対する適応に全振りした人が出てくる。知識がないわけではないので、自分の嘘を自覚する機能にストッパーがかかっていて、淘汰圧力はその能力(というか欠陥)をより強く持つ個体を生き残らせたという説は本当だと思えてくる。それに過剰反応する人も同じで、危機に過剰に社会的な意味を与えた反応をしがちな、カインの末裔である。

でも、この問題は、テレビやツィッターができるずっと前から、人類を悩ませた問題なので、これを処理する仕組みが、人間の脳の中にはあるはずである。

いや、自分で言っておいて、主語が大きすぎた。正確に言おう。

人間には、理性的に処理すべき事物を党派性に回収したがる、この葛藤が産む混乱で破滅する可能性があり、実際に過去にたくさんの部族が滅亡した。でも、我々は生き残った方の子孫であるのだから、先祖から、それを処理できる仕組みを持った脳を受け継いでいるはずである。