デコイの達人としての安倍総理

何か悪いことがあると、必ず「背後に誰かの邪悪な意図がある」と考える人がいるようだ。

たとえば、トイレットペーパーがなくなるのは「転売屋の邪悪な意図」のせい、PCR検査が受けられないのは「オリンピックの利権に関わる人の、感染者を少なく見せようとする邪悪な意図」のせい。

私は、ほとんど全てのことをシステムの不備と考える。

トイレットペーパーがなくなるのは、「過度に最適化されたサプライチェーンの不備」のせい、PCR検査が受けられないのは「限りあるリソースを有効活用するための必然」

この「党派性重視タイプ」と「システム重視タイプ」の分断は、いろいろなところで見られるが、安倍政権を批判する人にも二種類いる。

「党派性重視タイプ」は「なぜあんな邪悪なリーダーが長い間トップにいられるのかわからない」と言う。そして、この問題の背後にも必ず誰かの邪悪な意図があるに違いない」と考える。邪悪な政権が支持率を落とさないことも「アベの邪悪な意図のせい」と説明しようとする。

「システム重視タイプ」は「安倍政権が問題をどういうモデルで捉えているかが見えない」と言う。私もどちらかというとこのタイプで、何をどう解決しようとしているのか見えない。「反対」というより「論評しようがない」と感じてしまう。

ところが、新型肺炎の騒動を見ているうちに、安倍政権をシステムとして見る手がかりが見えてきた。

世の中の多数派は「党派性重視タイプ」だと思うが、安倍総理はこのタイプの人から見てわかりやすい人なのだと思う。特に、マスコミやワイドショーの人から見ると、「邪悪な意図」が見えやすいというかわかりやすい。だから叩きやすい。彼らにとって政権批判は、最終的にトップの人格批判、隠された「意図」の批判に帰着しないと中途半端で、システム的な問題を指摘するだけで終わる批判は無責任なのだと思う。その最終的な問題に持っていきやすい総理であることが長期政権の秘密なのだ。

現代の政治問題は、ほとんどが党派的な見方では解決できない問題なので、そのような批判は建設的な批判にはならない。

しかし、世論の大半は、党派的な観点からの批判を期待する。だから、そのような批判は無くなることはない。

安倍総理の機能は、そのような党派的な批判に対して、デコイとなることだ。ここにおいて、彼は天才的なのである。安倍総理が前面に立つと、党派的な批判のボルテージが上がり、みんな夢中になってしまう。その隙に、実務者が仕事をするというのが、安倍政権のやり方なのだ。

だから、問題ごとの実務者のレベルによって、政策の良し悪しに大きくブレがある。でもシステムはいつも同じだ。

「全国の学校に休校を要請」とか「中国、韓国からの入国を制限」という政策は、デコイとしては優れていると思う。デコイの役割は敵の砲火を呼び込むことと、攻撃を受けても倒れないことである。

第一次安倍政権の失敗を通じて、彼は、本能的に、攻撃を呼び込みやすいけど致命傷は負わないというデコイの役割に何が必要か理解したのである。

そして、このシステムは、今回についてはうまく機能していると思う。安倍総理の政策は支離滅裂だが、厚生労働省のやることは首尾一貫していてわかりやすい。

厚生労働省と専門家会議は、水際対策というものは基本的に効果のないもので、本来、2月中にもっと感染が広がっているはずだと考えた。その広がりは重症者の数だけ追っていても、もっとわかりやすい悲劇的な数字として、見えてくるはずのものだ。

しかし、そのような数字にはならなかった。では、新型コロナウィルス の感染率は低いのか?

偶発的に捕まえた手がかりから積極的疫学調査を行うと、どうも単純に低いとも言えない。ごく一部で多数の人に感染しているケースがある。これが一つや二つではない。

これを説明できるモデルは「再生産数の分散が大きい」ということになる。つまり、ツィッターと同じように、ごく一部のインフルエンサーのツィートは多くの人に読まれるが、ほとんどのツィートは誰にも読まれずに消える、というモデルだ。

大事なことは、このモデルを選択した理由は、誰かの邪悪な意図とか邪悪な意図を隠すためではないということだ。これがいろいろな事象を矛盾なく説明できるモデルだから、これが選択された。何が感染するきっかけになるかはまだ解明されていないが、再生産数の分散が大きいということはほぼ確定した事実と言っていいのだと思う。

そして、ここがまたわかりにくいのだが、このモデルの帰結は、ゼロと1000万人の両極端である。

現在、市中感染は広まっており、検査できて見えている感染者数が全てだとは思ってない。しかし、今はまだ対策できる範囲で、丹念に感染者を見つけていけば、封じ込めも可能なレベルである。

しかし、クラスター感染を放置すれば、すぐに何十万人、何百万人、何千万人のレベルになる。

両方の可能性を、どちらも十分あり得る未来と見ているのである。

ほとんどの人は、このような説明には納得できず、どちらかが「邪悪な意図を隠した」ウソだと思うのだろう。厚生労働省自身が矢面に立ったり、安倍総理がそのストーリーに乗っかってリーダーシップを取れば、党派的な集中攻撃がそこにやってくる。数理的なモデルを使った説明では、それに対抗できないだろう。

しかし、専門家は、どちらの可能性も真面目に考えているのだ。その前提で仕事をするには、デコイが必要なのである。

このように、「デコイとしての安倍総理」と「分散の大きい再生産数」という二つのキーを理解すると、厚生労働省と専門家会議は、首尾一貫して明解な説明をしていることがわかると思う。