民主党をやっつけるのに検察の手を借りなきゃならないようじゃ日本はおしまいだ

よく状況が見えないので日和見していたら、言いたかったことをfinalventさんに先に言われてしまった。

検察権力が恣意的に正義のツラをして市民社会に介入してくるのを市民はいわば本性として批判しないといけないということ。それは市民の義務にも近いものなんですよ。

世論調査からみる動向では一国の総理になりうる人だった。それを検察権力が市民の手の届かないところで打ち落としてしまったということなんですよ。

それがいかなる「正義」であっても、民主主義というのは、こういう危険な回路を除去しないといけないのですよ。

民主主義というのは市民が失敗したら市民が尻ぬぐいをする。愚かさのすっぱい果実をみんなで囓るのです。失敗しないような甘美な「正義」に身を委ねてはいけないのですよ。いかなる権力もそれを市民が「ちょっと待ってね」と制止する回路を組み込まなくてはならない。

私は、今の民主党をとても信頼できない。でも政権交代はあった方がいいと思ってるので、誰かが民主党を叩いて、民主党が少しでもいい方向に変わった上で選挙というのが一番いいと思っていた。

そういう意味では、小沢さんがこれで失脚して相対的に若手の力が増すなら、自分にとっては、小沢スキャンダルはベストとは言えなくても、ベターな結果を生むと思う。

でも、民主党や小沢に関する評価は本題じゃない。むしろ、自民党支持の人に言いたいけど、

検察の力で日本がいい方向に曲がることはいいことですか?

これ、今回の結果が良かったと思う人にこそ考えてほしいことだ。

民主党がダメなら、そこにダメ出しするのは国民じゃなきゃだめでしょ。一度民主党政権になって、民主党のダメな所がよくわかって、次の選挙で国民がダメ出しするのが、あるべき姿だと思う。

それは途方もない回り道で、場合によっては民主党に一度政権を渡すということは、挽回不可能な大失敗なのかもしれないけど、そのコストを負担するのが民主主義というものだと思う。民主主義は、ものすごくまどろっこしくてコストがかかるものだけど、そのコストは払う価値のあるものだ。

政治的責任と法的責任は違う。

検察のように強制力を持つ組織には、透明性とアカウンタビリティを強く求めるべきだ。

検察のやることのアカウンタビリティは法的システムの中でしか確認されない。起訴されてから裁判所がチェックするのは、それが法のシステムの中で正しかったかどうかでしかなくて、それもかなり時間がかかる。

今の段階では、強制力のある検察はやり放題で、ホリエモンの時もメディアにリークしていた情報は嘘ばっかりだった。→検察が印象操作に必死なのは煽り耐性が低いからかも - アンカテ

そこで政治的に取り返しのつかない結果を生むというのは、検察がやっちゃいけないことだと思う。

やっていいことなのかもしれないけど、次の政権を国民でなく検索が選択したというのは最悪だ。検察の選択は正しいと思うけど、正しい選択を上から与えられて喜んでいる国民はどうしようもないバカだ。


一日一チベットリンク「自由がない」というのは……チベット青年会議タシィ・ツゥリン氏。 - 日々是チナヲチ。