河合隼雄の政治活動批判

最近、小中学生に「心のノート」という道徳の副読本が配られていて、なんと河合隼雄さんがその実質的な編集長をつとめ、旗振り役をやっているらしい。

某所で「ネット上での河合隼雄」と褒められて舞上がって喜んでいた河合ファンの私としては、これは弁護せねば、と思ったが、ちょっと弁護できない。

内容は、さすが河合さんと思う所もある。例えばここなんか

 家庭は、一方では人間を産み育てるところ
疲れた自分を癒す、安らきの場。
しかし、もう一方では、つながりの深さゆえに、
人を苦しめ、ゆがめる場ともなる。

家庭の二面性をビシっと書いていて、これを「道徳」でやるのは英断だと思う。

しかし、このコピーが置いてある心のノート ガラガラポンというページでは、この本の「愛国心」というテーマについて批判があるが、こういう論争に、先生と子供たちを巻き込むのはよくない。この本で取りあげている「愛国心」が、そういう意図と違う所にあったとしても、そういう扱われ方をされてしまうのは、容易に予想できることだ。しかも、配布までの経緯が通常の教科書と違う流れになっていたりするらしくて、そういう論争に燃料を投下したような形になっている。

これでは、この副読本を使うことも拒否することも、政治的な意思表示とみなされ、先生方は相当やりにくいだろう。

これから、学校も先生もいろんなスタイルに分化して行くべきだと思う。日本中で学校が一枚岩だから、ドロップアウトは日本中全ての学校からのドロップアウトを意味するようになっていて、負荷が分散されないのだ。同じ議論でも分化を促進するような議論を呼び起こすべきだと思う。

「心のノート」は分化でなくて分裂を呼び起こし、結果として分化の妨げになる最悪の政治判断だ。

実は私は、このように河合さんを批判したこともあるんだけど、この批判には私自身が思うより深い意味があったのかもしれない。