2003年の「圏外からのひとこと」を振り返る

年末で「今年一年を振り返る」系の話がたくさんありますが、ちょっとヒネって「このブログの5年前を振り返る」という企画を立ててみました。

私がブログ(当時はWeb日記と言っていましたが)を書き始めたのは、2002年の11月です。当初は、tDiaryというWeb日記のソフトを使って、「圏外からのひとこと」というタイトルでレンタルサーバで独自運用していました。その時のコンテンツも、一括で移行してこのブログのアーカイブに含めています。*1

最初は、ソフトウエア開発の技術メモとして書き始めたのですが、書いているうちに、書きたい内容が広がっていって、今のようにあちらこちらに食いつくようなブログになっていきました。ちょうど、2003年は、テーマが爆発的に拡散していった時期になります。

でも、基本的には同じようなことを書いているんだなあという感じもしました。

いくつか、キーとなるエントリをリンクしながら*2、補足説明を加えていきます。

「Google八分の刑」という難問 - アンカテ

グーグル八分」という言葉は、文句無しに私のブログの最大のヒットですが、この言葉によって「グーグルが公共的インフラである」という観点が広まることに、多少は貢献できたのではないかと思っています。これは、その言葉を思いついて初めて書いたエントリです。

ただ、このエントリで意図していたのは、あるページが単体で「グーグル八分」になるということではなく、そのページに近いページ、その人に近い人も含めて八分にするということでした。たとえば、このブログが八分になると、自動的にこれを読んでいるあなたも八分になる、そして、そのあなたの友人や家族も八分になるというものです。

グーグルの検索エンジンは、リンクの情報を解析して各ページ価値(ページランク)を計算しているわけですから、それと似たような計算をやれば、「あいつに近い奴は一網打尽で全部八分だ」ということは可能です。

だから、あなたがこのブログをどんなに好きだったとしても、友人知人を道連れに八分にされてはたまりませんから、どうしても、このブログにリンクすることをあきらめるしかなくなるわけです。

注目すべき点は、グーグルは、直接的には私のブログやあなたのブログに干渉しないでそれができるということです。検索エンジンの結果リストはグーグルのコンテンツですから、どういうふうに表示してもグーグルの自由ではないか、という主張が成立するかもしれません。

このエントリそのものはそんなに良い出来だとは思えないのですが、そのジレンマそのものは一応書けているような気がします。

このテーマは、その後もずっと継続的に書いていて、最近だと、price 本位制から link 本位制へ - アンカテ とか Social Graph APIによってGマシーンがあなたの偏差値を計算するよ - アンカテ 等につながっています。

書籍検索とオープンコースウエアのない言語は滅びる - アンカテ

「日本語が亡びる時」の5年前に、「そんなこと言ってると日本語が滅びてしまうかもしれません」という話を書いていました。

この二つの記事によると、日本では権利の関係で同様のサービスを展開するのは難しそうですが、そんなこと言ってると日本語が滅びてしまうかもしれません。

現状でさえ、英語圏の書籍の市場は日本語の何倍もあって良書を入手しやすいのに、こういうサービスや無償公開で世界に広がるMITの授業みたいなものが、英語にはあって日本語には無いとしたら、やる気や好奇心や向上心がある若者はみんな英語で勉強するようになるでしょう。そういう層と日本語しか読み書きしない層がはっきり分化してしまうと思います。アジア諸国はもちろん日本の中もそうなるのが必然です。だって、勉強したり何かを考えるのにこういうツールがあるのと無いのでは、全然パフォーマンスが違います。

こういう問題は、国策として英語対日本語のサービス競争と考えるべきだと思います。

この記事には、梅田さんからもちょっと言及していただいていました。

あと、同じバイリンガルの作家である片岡義男の「日本語の外へ」という本の書評も書いていたのですが、これも通じるものがあるような気がします。

封筒を盗み見た朝日新聞記者は朝鮮語が読めるのか? - アンカテ

マスコミについて書くようになったのは、この事件がきっかけですね。

私は、この時までは新聞社の良識というものを普通に信じていましたから、この事件は本当に衝撃でした。単なる一記者の不祥事ということではなくて、それを組織的に隠蔽しようとしたことに大きなショックを受けました。

天皇のプレッツェル - アンカテ

ブッシュへの靴攻撃事件で見せた、65才とは思えないあの反射神経にとても驚きましたが、このビデオの後で読むと面白いかもしれないエントリ。

羽生という逆境を糧にした森内、谷川に拍手 - アンカテ

これは羽生-森内の16期竜王戦の途中、3連勝の時点で書かれたエントリ。この次も森内さんは勝って、タイトル戦で羽生さんにストレート勝利という、他の誰にも出来なかったことをし、その後も勝ち続け、羽生さんより先に永世名人を獲得します。

今年の、第21期竜王戦 -- 高速道路の先にある名勝負 - アンカテというエントリは、3-3の時点で書きましたが、その後の最終局に渡辺竜王は勝利、史上初の3連敗後の4連勝で初代永世竜王となります。

この二つのエントリは、自分の為の記録として書いておいて良かったと感じています。自分が将棋の中に何を見ているのか、そのことの現在進行形の記録ですから。

余談ですが、羽生さんが負けるのを見て、私はむしろ羽生さんという人の凄さを感じました。順調な時は、レールに乗って自動的に勝っているように見えてしまうのですが、実際は、間違えもすれば混乱もする普通の人間なんだと。普通の人間が、一つ一つの勝負に苦しみながらここまで来たのだということを実感しました。

教育現場に必要なものは「沢村賞」 - アンカテ

これは文章として良くまとまっていると自分では思いました。

○○ちゃんのお母さん - アンカテ

これと、三田佳子ってシングルマザー? - アンカテ 、は自分で常に意識しておくべきテーマとして。

即身仏は立派な社会人か? - アンカテパーシャル即身仏 - アンカテ

即身仏」というコンセプトは、けっこう重要だったかも。

ブログ評価ビジネス - アンカテ

「人材評価をブログで行なう」というアイディア。これも当時は、ほとんど反応がありませんでしたが、今では結構普通に考えられていますよね。

まる写ししないで難問に答えよう - アンカテ

選挙期間中、候補者が自分の名前を連呼しているのを聞きながら書いたエントリ。

これの(コンセプト的な意味での)ネタ元が宮沢賢治だと見破った人がいて、「ブログを書くということは恐しいことだ、どういう凄い人に見られているかわからない」ということを実感しました。

コミュニティトラウマの再生産 - アンカテ

当時、はなわのSAGAが大ブレーク中で、それについて書きました。

フリーソフトがカルマフリーとは限らないよ - アンカテ

当時使っていた tDiary というソフトに対する感謝の思いを表現してみようと思ったエントリです。自分では、このタイトルがすごく気にいっています。

コンテキストを巡るコンテキスト - アンカテ

この年には、たくさんの人に言及していただくようになり、対話する中で教えられて、自然と現代思想や哲学に興味を持つようになりました。その中の一つです。

「マスター」の思い出 - アンカテ

この年に亡くなった叔父について書いたエントリ。個人的に思い出深いので入れてしまいます。



一日一チベットリンク「中国、ポーランドを批判 ダライ・ラマと会談で」世界から‐中国・台湾ニュース:イザ!

*1:自動的に移行できてない記法があったり、いただいたコメントを移行してなかったりで、完全には移行できていません

*2:リンク先は元ブログでなく、移行したこのブログのエントリにしています