公然「圧倒的非対称」陳列罪 -- 緑の資本論 読書メモ

私は、実弾をこめた銃を頭につきつけられた経験はないのですが、そういうことをされたらかなりイヤです。ただ銃を突き付けられるだけで、殴られたり物を取られたり侮辱されたりしなくてもイヤです。

具体的なダメージを伴わなくてもなんでそれがイヤなのかと言うと、それは「死」というものを突き付けられるということだからだと思います。カチっという引き金の音が、私の「死」を意味する、そういう「死」を身近に感じる経験がイヤなのだと思います。おそらく、この感覚は誰もが共有することで、そういう行為はほとんど全ての国で刑法犯になるでしょう。

それで、彼のしたことをもう少し詳しく分析してみると、彼は私の「死」を密造したり不法に入手したわけではありません。私の「死」の可能性はもともとありました。私の「死」は確実にやってきますから、可能性という言葉もおかしいかもしれない。既に100%確実に存在していた私の「死」を、彼は私に突き付けた、そういう行為が大半の国で罪になるわけです。

存在しているけどふだんは隠されているものを人の目に見えるようにする、という意味では、これは猥褻物陳列罪と似たような罪です。あなたも私も少なくとも股間にひとつは猥褻物を所持しているわけですが、それだけで捕まることはありません。これを公衆の面前に晒すと罪になるわけです。

アメリカがアフガンやイラクでやっていることを「人道上の罪だ」と言う人がいます。これも同じような構造を持っているのかもしれません。存在してはいるが慎重に隠されていることを、目に見える物理的な形として顕現させ人類にあるものと直面するように強いた、そういう罪なのではないでしょうか。アメリカの人道上の罪は一種の陳列罪なのです。

そのアメリカが陳列したものはアメリカが作ったものではありません。100年前から存在していて、宮沢賢治が問題にしていたものです。そして、中沢新一さんがそれに「圧倒的な非対称」という名前をつけました。それが、この本の一本目の文章です。


社会の全体に張り巡らされた巨大な免疫システムがたえまなく作動し、異物が入ってくるとすぐに除去できるような機構も発達している。この安全で豊かな世界の内に、そこで生活している人々を養うための大量の食料やエネルギーが運びこまれてくる。ショーケースに並んだ肉からはそのとを想像させるいっさいの痕跡は抹消されいる。

こういう「豊かな世界」と


自分の冒している罪の現場は、人目につきやすいところにむきだしになっている。動物の殺害はサクリファイスのひとつの形態であることを誰もが知っていて、その現場から目をさらさないようにしているのだ。

こういう「貧困な世界」の間にある圧倒的な非対称。

しかし、中沢さんは単純にこれを「あってはいけないこと」とか言いません。もともと人類が火を手にした時から、これはあったのです。バンカーバスターが「圧倒的な非対称」を創造したわけではなく、鉄砲という原始的な火器によってすでにハッキリ形を持っていたそれを、誰にでも目に見える形にしただけです。

で、中沢さんは理系出身だけあって実際的です。もともとあって簡単には廃絶できないものなら、これをどう処理したらいいかのマニュアルを探します。そして、宮沢賢治や狩猟民の神話の中にそれを発見します。


動物たちは着ている毛皮や肉をお土産に山を下りてくる。狩人が仕留める動物とは、そうして尋ねてきた客人なのである。人間は毛皮や肉を脱ぎ捨てたこれらの動物の霊に、精一杯のもてなしをする。人間の村で歓待されてすっかり満足した動物の霊は、いろいろな手土産を持たされて、またの訪問を楽しみにしながら、動物の霊の世界に戻っていく。

こういう神話は、道徳や倫理の為のものでなく、非常に実用的な意味を持つマニュアルでありテクノロジーなのです。エコロジーを保ち長期的な収穫量を最大化するには、こういう神話が有効です。まず第一にこれは単純な生態学的な知恵であります。ですがこの話に含まれているのは、それだけはありません。ここにはそれ以上の偉大な洞察が含まれている。

それは「圧倒的な非対称」が「豊かな世界」に持たらす毒を中和する作用です。(「毒」という卑近な言葉は中沢さんは使ってませんが、私はそう解釈しました。)「圧倒的な非対称」が「豊かな世界」を長期的に維持できるならいいのですが、「貧困な世界」の反乱、テロを待たずに、それは自己崩壊する。そういう世界観は体によくないんです。

昔の人は、そういう非対称の毒を知っていて、それを中和するために神話を用意して、自分たちが狩る動物への敬意を持ち続けた。こういうのは倫理や道徳ではなくて、高度なテクノロジーなんです。それを原始的と呼ぶなら、我々はもっと高度な神話を開発しなくてはならない。宮沢賢治が追求したものがそれかもしれません。鉄砲とバンカーバスターの能力差に匹敵する、高度な内面のテクノロジーを開発しなくてはならない。そしてそのことは、戦術核兵器の研究再開によってさらに緊急の課題となっているのではないでしょうか。

(追記) タイトルを変更しました。