21世紀には暴力のない「死」をイマジンしたい

「イマジンが20世紀を代表しているような意味で、21世紀を代表できる音楽」というのは面白い問いかけだと思って、少し考えてみたら、これを思い出した。

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この短いクリップの中で、コムアイはなんども「死と再生」を繰り返すのだけど、その「死」に少しも暴力の香りがなくて、エネルギーだけがあるのが新鮮で21世紀的だと思う。

そして、この音楽の中で、テクノロジーと自然が見事に融合している。

「融合」というのは、境界を壊すことだから、いかなるかたちでもいつも暴力的で、それは僕たちが境界を守ろうとしているからだ。境界を守ることが「生」であって、その努力を粉砕するのが「融合」であり、国境のない世界だ。「イマジン」が暴力的な言葉を喚起するのは、だから必然かもしれない。

しかし、「屋久の日月節(やくのじつげつぶし)」のミュージックビデオの中には、それがない。コムアイは菩薩顔で大地に溶け出し、またよみがえり、蘇るとまたすぐ死ぬ。すぐ死ぬことが重要で、「死」が次の「生」のタネにしかならないのは、暴力的だと思う。そういうのではなくて、「生」と対等の関係にある「死」が描かれている。

テクノロジーがそういう「死」に対して中立的であり、そういうタイプの「死」を表現するために使えるというのが、驚きだった。境界を守ろうとしてない人たちにとっては、テクノロジーはそういうもので、中立的なのだろう。そこに21世紀の可能性があるのだと思う。