毎日野菜を摂取するようにいいニュースを継続的に摂取

私は、なるべく野菜の多く入ったメニューを意識的に選ぶようにしているのだが、それと同じような感覚で、毎日、Enlightenment Nowという本を少しづつ読んでいる。

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress

これは、まだ日本語訳は出てないが、このブログに、章ごとの詳細な要約がある。

B073TJBYTB の検索結果 - shorebird 進化心理学中心の書評など

「ファクトフルネス」と似たような本だが、もっと厚くて「どう言う観点から見ても世界は良くなっている」としつこくしつこく言い続けてる本だ。

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

「ファクトフルネス」は、この伝わりにくいメッセージをどう伝えたらいいか誠実に考え抜いて練りに練ったもので、読者を自分の仲間にしていこうという優しさを感じるが、スティーブン・ピンカーは、なんだかちょっとキレ気味で、読者は論争相手だと思っているみたいだ。宮本武蔵が寝てる時に刺客に襲われても軽々やっつけてしまうように、ピンカーはいつ何時どこから反論されても、即論破して相手には情けをかけず一刀両断する。その分だけ、常に油断なくデータから実証的かつ多面的に論じていて、ぶ厚い本になっている。自分の目的にはこちらの方があっている。

「野菜は年に一度だけ食べません」とか言ったら、来年の健康診断の時に、栄養士さんに栄養指導の時に、相当怒られると思う。私は、数年前から健康診断の時に「栄養指導」といって、栄養士さんの面接を受けて、一週間分の食事のメニューをチェックされているのだが、ラーメンとか甘いものが多いとネチネチとしつこく注意を受けてしまう。

「それが好きだから」と言ってももちろん許してくれなくて、「あなたの体のために、少しだけ我慢して、なるべく野菜の多い定食とかを選びましょう」と言われる。言い方は丁寧だけど、有無も言わせぬ圧迫感で言われるので、この指導の時間が苦手だ。

感情的には納得できてないのだけど、この指導が必要なことはわかっている。自分の体は狩猟採集で10万年生き抜いた原始人のDNAからできていて、甘いものや油物がめったに手に入らない環境に最適化されている。だから、本能は「そういうものは全て摂取せよ」と命じるのだけど、現代の生活ではそういうものがいくらでも手に入るので、その本能を押さえて行動を変えなくてはいけないのだ。

「ファクトフルネスを一冊読んだら、当分その手の本を読みません」というのはダメだと思う。「Enlightment Now」はぶ厚いし、英語なので、1日数ページしか読めない。そこが自分にはちょうどよくて、毎日、毎日少しづつ読む。

自分の頭は、部族の中で10万年生き抜いた原始人のDNAからできていて、悪いニュースがめったに手に入らない環境に最適化されている。だから、本能は「そういうものは全て摂取せよ」と命じるので毎日毎日はてなブックマークツイッターを読んでしまうんだけど、その本能を押さえて行動を変えなくてはいけないのだ。

「Enlightment Now」には、各章にグラフが二、三個あって、もちろん全部データの出所が明らかになっている。グワーンと右肩上がりになるやつと、ふらふらしつつも長い目で見るとジワジワ下がってるやつかどちらかで、どのグラフも執拗に世の中が平和で安全になっていることを示している。こういう話はなかなか頭に入ってこないので、一年くらいかけて読み終えたら、もう一周しようかなと思っている。

ファクトチェックというより、必要なのは栄養指導だ。原始時代に、何かが毎年少しづつ良くなって、30年くらいで複利計算して倍増とか数十倍なんていうものはなかった。だから、そういう変化を見れないように人類ができているのは、よく考えてみれば当たり前のことだ。テロや通り魔や航空機事故は、「その辺にライオンがうろついている」という情報と相似形で、油物や甘いものと同じように我々をひきつけるし、摂取されたら長く人体の中に蓄積する。

でも、実際に今世の中を動かしているのはいいニュースで、「世の中は少しづつ少しづつよくなっていて長い目でふりかえって見るとその蓄積は相当なものだ」系の情報を基盤として考えることが、功利的にも実存的にも絶対必要だと思う。もちろんなにごともバランスは重要だが、今時、悪いニュースに不足するなんて心配はまず無用だろう。