60年間安定の中を生きた高齢者の大群という歴史上類の無いもの

日本史の中で60年間、クーデターや戦乱が無かった時代は意外に少ない。また、アジアの回りを見てもこの期間、クーデターや戦乱が無かった国は少ない。戦後60年の安定は、それだけでもかなり例外的な時代である。

それに加え、平均寿命が伸びて人口バランスが変わり、若者と高齢者の比率が大きく変わっている。相対的な割合が増加している高齢者たちは、世界史的に珍しい環境の中で育っている。

だから、若者が年長者から受ける圧迫も、世界史的に例の無いものだと思う。年長者は、自分が生きた時代のほとんどで、「自分の回りの世界は常に安定している」という経験の中を生きてきた。常に年長者の言うことは鬱陶しいものだが、ほとんどの年長者が、これほど磐石な信念を自分史の中から容易に構築できる環境はめったにない。

若者に対して、年長者の体験の重みが「世界は安定していて、俺が見た通りのまま変わることがない」と告げる。その信念が重くのしかかっている。

若者は、生まれてからずっとそういう環境で生きてきたので、それを当然のことと思っている。魚が水の存在を認識できないように、頭の上に常に存在しているその重みに気がつかない。

しかし、人類の社会システムの体系は、そういう環境に適合するようには作られていない。若者は変動を経験していないが、人数が多くエネルギーもある。変動を経験した年長者は、人数が少なく力も気力もない。だから、「変動を予測しそれに対処する方法」すなわち歴史というものが、長年の知恵として語りつがれてきた。そして、若者を押さえこみ歴史を知る年長者をサポートするような偏りをシステムに組み込んだ。

そういうシステムを持つ社会だけが生き残った。従って、人類の本能は年長者を敬えと若者に命じる。そして、年長者から「変動に対処する知恵」としての歴史を受けつげと命じる。

歴史上類の無いこの状況は、人類の本能、社会の本能に反している。多くの年長者は「変動」を経験しておらず、歴史を受けついでいない。安定の中で生きた年長者は、変動に翻弄され歴史しか頼るものがないという経験をしていないのだ。しかも、社会システムのDNAにサポートされる必要がないほど人数が多い。だから、特殊な影響力を強く若者に与えているはずである。

この歴史上類の無いアンバランスに対して、関係者全員が意識的に対応する必要があるのではないだろうか。