非常用発電機を移設しなかったのは単純で明白な重過失

大規模なプラントは多くの機能が相互に複雑にからみあっているものだ。だから、包括的、システム的な観点が重要で、一箇所だけに注目してモノを言ってもたいてい的外れになる。また、理論と実際は違うので、長い経験で蓄積された工学的な視点がないと、その分野の専門家であっても適切な批判はできないものだと思う。

しかし、原発の冷却機能が停止した時の挙動は、例外的に単純だ。

使用済み燃料が発する崩壊熱の熱量は、原子核の反応なので、攪乱要素がほとんどなく相当な精度で事前に予測できる。つまり、全電源遮断から何分でメルトダウンするかは、難しいことをあれこれ考える必要がなく、単純な方程式で確実に予想できることだ。

ということは、原発の発電機が止まるというのは、直感に反して大変な事態であり、これにかかわる問題は、他の何を置いても早急に対処すべきことである。

福島第一は、地震津波がないアメリカの設計を流用したので、非常用発電機が低い位置に設置されていて、その問題は、事前に指摘されていた。

この人が特別慧眼だったということではなく(告発した勇気は多いに評価すべきものだが)、多少の知識があれば誰にでもわかることである。

それで、問題は、この「わかっていてもやめられない」という組織の病弊は直っているのかどうか。

こういう技術的な正論をしつこく言う人は、「空気が読めない」としてどこでも嫌われる。私はソフトウエア技術者として、嫌われないように細心の注意を払ってきたからよくわかる。空気が読めないコンピュータや空気が読めない原発の代弁をしたら、たいてい、工学的な問題ではなく技術者の人間性の問題にされてしまう。「空気が読めないのはオレじゃなくてコンピュータだよ。プログラムは書いた通りにしか動いてくれないんだよ」という言葉を飲みこんだことが何度もあったから、黙ってしまう技術者を責める気にはならない。

だから、日本の原発にはこういう問題が(当然もっと複雑で素人には見えない問題が)他にもたくさん残っていると思う。戦艦大和から地デジまで、ずっと同じことをやっているので、これが簡単に変えられるとは思えない。

原発以外は、失敗を重ねながら、長い時間をかけて少しづつ組織やマネジメントを改良していけばいいと思うのだが、原発もそうするしかないのだろうか?



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