偏りをシェアする

倫理+戦略=誠意は多くの人に共感のコメントをいただいて、それはとても嬉しかったです。一方で、Reimyさん荒川さんから、「イラクには(自衛隊より先に)多くの NGO が既に復興支援のために入国している(自衛隊派遣に反対しなかった人は、そういう人のことをどう考えているのか)」という批判をいただきました。どちらの記事も私が完全に理解しているとは思えないので、何か勘違いか読み抜けがあるかもしれませんが、まずそういう指摘として読んで、とりあえずそこについては「なるほど」と思いました。

現地で活躍しているNGOなどの人たちについて私はよく知らなかったし、そういう人たちの危険についての想像力が足りませんでした。そこでもう少し考えてみました。

お互いに「自分の方がイラクの為になっていて、相手は邪魔」と考えていて、「自衛隊NGOを危険にさらしている」と「NGO(人質)が自衛隊を危険にさらしている」という点では、対称的な関係にあります。ただ、NGOには逃げる自由があって自衛隊員にはありません。「自分が絶対的に正しいので自分の信念に基づいて強行する」とした場合に、「相手を非難しつつ避難する」という選択肢がNGOにはありますが自衛隊員にはありません。

だから、自分の想像力の不足は痛感して反省しているし、その偏りを明確にしてここでそれをシェアしたいと思いますが、考え直した結果の結論としては、やはり同じです。

「相手の考えが根本的に容認できない場合にどうやって歩みよるのか」それが、今、我々が考えなくてはいけない課題であって、「自分が正義である」と簡単に納得して戦略なしに行動する人は、世界の平和の為には貢献できないと思います。最終的には「正義でないものを抹殺することで平和を実現する」しかなくなると思います。

そういう非難をあの三人にかぶせるのは適当ではないかもしれませんが、三人の命を自衛隊の撤退とつなげようとする人には、そういう傾向を感じます。

正義でない人が現実にいるわけです。そういう人と和解するには、自分の中に正義でないものを見つけて、それを鍵に正義でない人と共感していくしかないのではないか、私はそういうふうに考えます。