間違ったブログも価値がある

こういうテーマについて書いているとビクビクものだ。次にいつどういう状況の変化があるか全く予想がつかず、何かひとつのニュースで全然前提が変わって書いたことが無意味になるかもしれない。アップした記事がいかにもピントはずれになってしまって、運悪くその時オフラインで言い訳を追加することもできなくて、バカな記事が晒しものになってしまうかもしれない。あるいは、とてつもなく冷酷で残酷なことを自分が書いたことになってしまうかもしれない。

しかし、書いてみて気がついたけど、たとえとんでもない勘違いや事実誤認があったとしても、僕がどういう間違いをしたのかをリアルタイムで晒すということは無駄ではないと思う。

僕は自分のブログを読んでいる人に、自分の記事を過大評価もしてほしくないし過少評価もしてほしくない。ブロガーとしての僕はここに書いた記事の集積が暗黙に指し示しているとおりの人間で、それ以上でもそれ以下でもない。

自分の全てをここで表現しているのではないけど、自分の中のある一面についてはなるべく正直に表現したい。事実誤認も視野の狭さも考え方の偏りも全てあるがままに書きたい。そういう自分の欲求に気がついた。

だから、自分が思ったり考えたりしたことは、いつものとおりに書くことにした。僕には、自分なりタイミング(思いつきを寝かせる時間)と個人の生活の事情(書ける時間と書けない時間)がある。それに従ってそれ以外の何ものにも従わないで、僕はブログを書こうと思う。

間違ったブログにも偏ったブログにも価値がある。少なくとも僕はそういうものも読みたいと思う。