RSS餓鬼道バンザイ!
こういう胸のすくような文章にたまに出会えるから、たくさんフィードを登録して巡回することには価値があるんだよなあ、と思わせる文章。RSS餓鬼道バンザイ!
より具体的にいえば、猫はもはや獣ではない。人間と共生している動物である。猫は人間のエゴと付き合う、という形の生き方をしている動物なのである。したがって、猫にとって人間もまた生の一部なのだ。人間の側にとってもそうである。猫と暮らすことで、その生の一部を動物と共有している。一緒に生きる、というのは一緒に楽しむことであり、互いに邪魔することでもある。
小説家が半ばキチガイだったり鬼畜だったりするのはわからないでもないのだけれど、このエッセイはそこから手の込んだ形で社会を啓蒙しようとしている”ねえ、あなただってそうでしょ、目覚めなさい”的パフォーマティブな文章、というのが私の解釈です。小説家は小説をかいていてください、ということでもある。
もうひとつ、ぜんぜんテーマは違うけど、同じくらい胸のすく思いがした文章。
Matzさんは、合州国どころか東京に「進出」することすら考えていない。考えていなくてもちゃんと世界に通用している。なぜそうなのかと考えると、Matzさんにとって島根が充分「ゆたかな」場所だったからだろう。なんといってもNaClという職場があるのは大きい。
そう。職場。おそらくLinusやGuidoにはそれがなかったのだ。というより彼らの「田舎」はそれを用意できなかったのだ。
- 世界に通用する人物は世界のどこにも存在しうるが、世界で通用する人物が暮らしていける場所は限定されている。
- しかしその限定条件は、昨今急速に緩和されていている。
- そして限定条件さえ満たされれば、世界で通用する人物はそこに居続ける。
結局月並みな前提と月並みな推論から月並みな結論しか出てこなかったが、月並みだからこそ「世界に通用する結論」が、これである。
どちらも、読んでいてモヤモヤとしたものが晴れていき、その瞬間ちょっとドキドキしたことが、私にとって共通しているので、同一エントリに収容することにした。