リアルタイム歴史家池田信夫とリアルタイム歴史小説家梅田望夫

歴史小説を読んでから歴史の教科書を読むと、そのあまりの短さと無味乾燥さに驚く。

でもたいていの場合、その文章はよく練られていて、限りあるスペースの中に本当に重要な事実は漏れなく入っている。そして、単なる事実の羅列でなく、その時代の本筋を押さえたきちんとしたストーリーになっていることが多い。

ここまでは予想のつく展開で、おもしろいのはこれから起こる本当の情報革命だ。それは必ずしもいい方向ばかりではなく、宗教戦争のように破壊的な出来事をもたらすかもしれない。

短い文章だけど、ここに、我々が生きているこの時代に今起き始めていることの本筋が濃縮されている。おそらくこの通りに時代は進み、ここに抜き出されたキーワード(宗教改革宗教戦争、科学革命、産業革命ナショナリズム帝国主義)ひとつひとつに、対応する21世紀版の大きな事件が起きていく。起きた順番に固有名詞を入れ替えていけば、この文章は、そのまま後代の歴史の教科書にそのまま収容できてしまうのではないか。

このように高い所から俯瞰し本筋をえぐり出す、同時代的なリアルタイムの歴史家が池田さんだとしたら、梅田さんは同じことを人間ドラマの中に描こうとする歴史小説家になぞらえることができるだろう。

歴史家が歴史小説家の作品を「15分で読了した。何も新しいことが書いてないからだ」と言ったことに対して、歴史小説家が「彼の感覚で読んだときに間違っていることがなかったということ。これはありがたかったし、良かった」と思うのは、うまく話が合うでしょう。

もう一つの違いは、池田さんは経済学、歴史、技術等の多彩な学を援用するが、あくまで池田さんという個人の視点にそれらを統合して語るのに対して、梅田さんは、他人の言葉に反響させて自分の視点を語り自分の言葉を反響させて他人の視点を動員する

池田さんの語る対象は21世紀なのだけど、そのスタイルはあくまで20世紀的な知のあり方だと思う。それに対し梅田さんは、知のあり方、方法論そのものの中で、21世紀的な新しい方法を模索している。

池田さんの文章に誰かが手を入れれば、どれだけ優秀な書き手のものであっても、まず間違いなくそれは改悪になる。梅田さんに対する言及は、どれだけ的外れなものであってもまず間違いなく彼の作品に力を与える。

池田さんの本は終着点で、梅田さんの本は出発点だ。

いろんな面で対照的だけど、ともかく同時代的にこの二人の書いたものが読めることは幸運なことだと思う。