東京シューレ見てきました

と言っても、数年前の話ですが、東京シューレの保護者向け説明会に出たことがあります。

結局、いろいろな事情で入学はしなかったので、中身はもうほとんど忘れてしまったのですが、その時、非常に驚いたことがひとつあります。

在校生が数人、自分のパーソナルヒストリーを交えながら、今シューレでどんなことをやっているか説明してくれたのですが、この話が面白くて、飽きさせなかった。

フリースクールってとこは、中で何やってるのか話を聞いてもよくわからないことが多いのですが、その時の子供たちの話は、素直に頭に入りました。プレゼンとして、非常によくできたものだったのだと思います。

事実関係が明解で、しかも単に客観的に物事を整理して説明するだけではなく、自分たちの心情もまじえて聞いている私たちを引きこんでいく話でもあったし、要所要所で笑いを取れる子もいたりして、それでいて、個々の話は10分くらいで長くなかったのです。ちょっと驚嘆しました。10代の少年少女をどう仕込めば、ああいう見事なプレゼンができるようになるのか。「仕込む」と言っても、それぞれのスタイルは違っていてみんな個性的で、何か特定のメソッドの成果とも思えませんでした。

生きた言葉を話せるということと、自分と聞いている人たちとの関係が、きちんと意識できているので、自然とそうなったという感じです。子供たちが、社会性をきちんと身につけているということではないかと思います。

その後、保護者の方が、自分の子供の状況を説明しながら、入学へ向けての相談をしていくのですが、こちらの方は、実に説明がわかりにくくて、どのように子供が不登校になって、今どのように過ごしていて、何を求めているのか、ひとつひとつの状況をつかむのに、すごく時間がかかりました。中身は、どれもが当時の私にとって切実で人ごととは思えない話題だったはずなのですが、聞いていて眠くなってしまったことを覚えています。

別のその人たちが、特別、説明が下手なわけではなくて、日本人の平均としてそんなもんだと思います。たぶん、その前に、シューレの子供たちの話を聞いていなかったら、「親はみんな話が下手で眠くなった」なんて記憶は残ってないでしょう。

私がシューレに行ったのはその時だけですが、その時の印象だけで言えば、「教育の実践」としては、着実に成果を上げている所だと思います。あれだけの話をできる子供たちが育っているのは、すごいことだと思います。

ただ、主宰されている奥地さんの印象は、ちょっと微妙です。後半の親たちへの事情聴取が、ほとんど事情聴取でした。「えっ、それでどうしたの」みたいに、親を問いつめている感じです。言っていることはよくわかるし、基本的には親から情報を聞き出して、子供の様子を理解する為に必死だったのだと思いますが、親にはあまり優しくない感じで、自分の番が回って来る時には、何か叱られてしまうような気がして、少しドキドキしました。何を話したのかも覚えていません。

親に対しては、少なくとも配慮が欠けた所があるとは言えるような気がします。

だから、「東京シューレ」VS『不登校は終わらない』の騒動のことを知った時、はじめに「あの人ならやりそうだな」と思いました。詳しい事情は把握してないで、一回見た印象だけで言いたいことを言えば、子供以外には攻撃的な所がある人のようにも感じました。

でも同時に思いました。

 でもいいじゃん。子供が育てば。

「実践」の人としては、全然オーケーだと思います。親に配慮するよりは、子供に配慮してほしいし、どっちか欠けてしまうなら、親(やその他の関係者)への配慮が足りない先生の方がいいでしょう。

そして、祭りの戦士さんの文章を読んで、少し複雑な気分です。

ここに書かれていることには、ほとんど私は同意します。R30さんが言われるように、「的確な問題抽出」だと思います。しかし、その問題提起が東京シューレに向かうべきだとは思いません。

奥地さんがこの問題に正しく答えられるとは思えないのですが、奥地さんが育てた子供たちの中には、将来、東京シューレを正しく批判できる人間が出てくると思います。

東京シューレが公権力の一部として、『異物』を排除するシステムに組込まれ、意図せずにそれを助けている」という問題と、「その問題を正しく理解し批判できる(可能性が比較的高い)人間を育てられるのはどういう教育か」という問題は別ではないでしょうか。

奥地さんは前者の問題を理解していないような気がしますが、後者の問題には実践として着実に成果をあげているように感じます。教育者というのはそういうもので、それでいいと私は思います。