こんな親の子、就職はムリ!

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「30年前の就職ノウハウしか持っていない親に、何の抵抗も無く受け入れられる会社は30年で大企業病になっているんじゃねぇか?」

と言うotsuneさんには当然まるごと同感なのだけど、これはちょっと認識が甘いと思います。というのは、このギャップは「企業の安定性や成長力に関する見解の相違」ではないと私は思うのです。

親の世代は企業に安定性や成長力を求めてなくて、「身分」を求めているのです。つまり、「給料というのは企業の利益が再配分されたもの」という前提がないんです。その前提を共有していれば、親と子の争点は成長力と安定性のどちらに力点を置くかという戦術レベルの話になりますが、親は子の選んだ企業の「安定性」「成長力」「利益率」等を問題にしているのではありません。そこに就職することでどういう「身分」が得られるのかを問題にしているのです。

彼らにとって給料というのは、「身分」に応じて支払われるものなんです。それなりの「身分」を確保すれば、相応の収入が必ず保証されるはずだ、という信念があるのです。もし、所属する組織がそれに見合う利益を稼げなくても、必ずどこかから捻出されてくるはずだ、そうあるべきであるという感覚があるのです。

ですから子供は親に、「身分」という制度がもう壊れているということを納得させなくてはならない。壊れていてもう戻らないことを納得させなくてはいけないんです。親は、それが現在壊れていることまでは認めるけど、「それは不正義であり、そんな馬鹿なことがずっと続くものか!」と思っています。「世の中はもうすでにそうなっているし、絶対に戻らないのだ」ということは彼らには認めがたいんです。社会経験の無い自分の子供にそう言われても納得できるものではありません。

リストラされた中高年サラリーマンは「なぜ、自分の会社は私にバリューを生む仕事を与えてくれなかったのだ」とか「会社の為に尽くしたのだから、その見返りに会社は世の中に通用する能力を(教育機会を)私に与えるべきであった」という方向には怒りません。要約すれば「身分相応のことをしてきたんだから、身分相応の給料くれよ」と言って嘆くんです。これも同じギャップがあると思います。

だから、記事中にあるような「話を適当に合わせて(名門企業に)落ちたことにする」という戦略が賢いと私は思います。親子で正面衝突したら簡単には落とし所が見つからないでしょう。