村上ファンドの破綻から「成長」ということを考える

村上ファンドの問題を自分なりに解説みたいと思う。


まず「ファンド」というのはどういう仕事か。非常に簡略化して言えば次のようなものだ。

ある会社に、全く役に立たない役員がいたとする。この役員は給料を1億円ももらうくせに、会社にとって利益になることを何もしない。それどころか、ことあるごとに有能でやる気のある社員の仕事に余計な口を出してやる気をそぐ。しかし、この役員が無能で有害であることは、簡単にはわからない。

ファンドは、こういう会社を探してその会社の株を買う。大量に買う。たとえば、時価総額100億円の会社だったら50億円出して、株を半分買ってしまう。そうすると、取締役の人事に対する決定権が生じるので、その無能な役員をクビにすることができる。

無能な役員をクビにしたことで、その会社の利益は1億円増える。株価というのは利益に連動するので、利益が1億円増えると株価が20億円増える。半分持っているファンドは、60億円にで持株を売ることができて、10億円儲ける。

会社というのは私物なので、無能な役員を飼うことは違法ではない。しかし上場するということは、会社のお金に社会的な責任が生じるということなので、無能な役員を飼うことは許されない。だから、上場企業というものは無能な役員を飼っていてはいけないのだが、役員が無能であるか無いかの判断は難しい。ファンドの介入前にその会社の株が50億円であってそれで株主総会でその人事が承認されているということは、他の株主にはその役員が無能であることが見抜けなったことになる。ファンドには事前にそれを見抜く特殊能力があって、ファンドというのはそれを活用して金を儲ける仕事だ。同時に、たくさんの会社から無能な役員を排除していくので、社会的な役割を果たすという意味もある。

理想的なファンドに介入されたら、その会社の社員は喜ぶ。口うるさく事々に仕事の邪魔をするイヤな奴がいなくなって、ずっと仕事がしやすくなるからだ。そして、社員の仕事がしやすくなれば製品の質が上がるので顧客も喜ぶ。値段が下がるので消費者も喜ぶ。そういう意味では、ファンドは天下の為に仕事をして自分も儲ける立派な仕事である。

「無能な役員」というのは説明の為の便宜で、実際には、もっとややこしくて微妙な問題を取り扱う。抽象的に言えば「経営の歪み」である。しかし、素人に「経営の歪み」などと言ってもわからないので(わかるくらいなら経営者かファンドマネージャーをやってるYO)、具体的に「小言ジジイのような無能で有害な役員をクビにする」と考えた方がわかりやすいし、そんなに大きくはずした理解にはならないと思う。

そうなると、ファンドの能力は次の二点に依存する

  • 素人には見えない無能な小言ジジイを外から探知する特殊能力
  • 無能な小言ジジイを飼っている企業の数

特殊能力が必要なのは言うまでもないが、それだけではだめで、小言ジジイを飼っている上場企業が無いと探知能力が発揮できない。それも時価総額を膨らまして稼ぐので、そこそこ大きい会社でないとだめだ。

村上ファンドの特殊能力は、基本的には日本の会社相手に通じる能力で、日本の会社にいる小言ジジイを探知する能力である。幸い、日本の会社には無能な小言ジジイがそこそこいたので(経営実態に問題があるのに株主がそれを放置している企業が多いので)、たくさん小言ジジイをクビにして村上ファンドは稼いだ。

だから、ある時点までは、村上ファンドは合法で社会的に有意義な事業を行って良好な運用実績を上げていたと見るべきである。クビにされた小言ジジイは村上ファンドの悪口を言うだろうが、それは私怨である。「ファンド」一般の社会的機能を否定するのは間違っている。

ところが、うまくやり過ぎて村上ファンドは困ってしまったのだ。ひとつには、金が集り過ぎたこと。ファンドが企業の株を買うお金は、自分の金ではなくて、顧客から預ったお金だ。50億円預かっているなら、100億円で無能ジジイ一人付きの物件を探せばよい。しかし、500億円預かったら1000億円で無能ジジイ10人付きの物件、5000億円預かったら1兆円で無能ジジイ100人付きの物件が必要になる。

特殊能力がもっとグローバルなものであったら、他の国にまで目を向けて探せばよいのだが、たぶん、村上ファンドのそれは日本専用だったのだろう。それと、村上ファンドが活躍したことで、自分から無能ジジイをクビにする会社も増えた(日本の上場企業全体の経営の透明性が向上した)。それで、村上ファンドは、稼ぐアテを無くしてしまったのだ。

そして、ここで問題なのが、資本というものは無限に増殖を要求する性質があることだ。おそらく、村上ファンドは数十億円の規模ならば、現在持っている小言ジジイ探知能力でそこそこやっていけたのではないかと思う。しかし、市場の中では稼げば稼ぐだけ資金が流入して規模を拡大せざるを得ない。数千億円の規模に膨らんだ資金を運用する為に村上ファンドは無理をして破綻した。

それを防止する適切な装置が無かったことや、無限の拡大を要請する資本の論理や何の歯止めもなくそれに乗っかるグローバル経済に焦点を当てて批判するならば、それは正当な批判である。そういう正当な批判と小言ジジイの私怨を区別することが、この問題の正しい評価になると私は思う。

そして、さらに難しいのが、小言ジジイは単体ではないということだ。日本企業は各社に小言ジジイがいて連合軍を作っている。小言ジジイ同士で仕事を融通しあっている。

この状態であると、小言ジジイが無能であるかどうかは微妙な話になる。ジジイAがA社にいることで、ジジイBがいるB社がA社に仕事を出す。ジジイAをクビにすると、A社はB社からの仕事を失う。そこだけ見れば、ジジイAはどんなに無能でもA社に対して一定の貢献をしていて、場合によっては1億円の給料以上の仕事をしていることになる。この場合、A社B社まとめて買収して、ジジイABを両方クビにするとトータルのパフォーマンスは向上するが、一部に手をつけただけでは、小言ジジイをクビにしたらかえって利益が下がってしまう。

小言ジジイの連合軍は、一定の価値観に基いて行動していて、これが市場の流動性に対する防波堤となっている。小言ジジイクラブには「自分たちは資本の論理とは違う観点から経済全体の社会的機能を向上させてきた。それは日本人総体の意識を代弁するものであって私利私欲ではない」というような言い分もある。確かに、小言ジジイクラブが無ければ、経済はアメリカ的な資本の論理のみで一元化されて運用されるだろう。

それは、ある時点までは真実であったのかもしれないが、今や小言ジジイクラブは新陳代謝と自浄作用を失なっていて、そうなると、法的な裏付けや明文化されたルールがない世界なだけに、害は大きい。銀行が悪いことをしても逮捕されないで、ホリエモンや村上さんが悪いことをすると逮捕されるのは、小言ジジイクラブに話を通してあるかどうかの違いだろう。

ジジイ連合軍は硬直しすぎていて、村上ファンドは増殖し過ぎている。どちらにも足らないのは、「成長」という概念だ。

「成長」とは、世界の中の不気味さや不安定さをできうる限り、生身の身体で受けとめることだと思う。誰でも思春期を通り過ぎるのは、その難しさを勉強する為だ。正しく成長する会社は思春期の少年のように不安定でエネルギッシュで危険でありそれを糧として立派な青年になる。人間も企業もそれが正しいあり方だと思う。思春期の不安定さを一定の枷をはめつつも社会が受け止めてくれることは、人間の成長にも企業の成長にも必要なことだ。

そして、フェーズに応じて「成長」のペースを適切にコントロールすることを許すことも同様に必要だ。

村上ファンドが求められたような「増殖」を無限に続けることは人間にはできないし、ジジイ連合軍が求めるように硬直した役割の中に自分を押しこめていくような「成長」も人間にはできない。村上ファンドの破綻は、会社を適切に「成長」させることのできない日本社会の象徴であり、同時にそれは、人間を「成長」させる場になれない、この社会の問題とも通じている。