変異する情報

養老孟司さんが「情報は変化しない、生命は変化する」というようなことを言っていました。そうすると、「情報に関する情報」は永遠に有効で「生命に関する情報」は有効期間に限りがあります。

例えば「essaは近頃、薄毛に悩んでいる」という情報は「生命に関する情報」です。(オフトピ: これを既に知っていたと言う人は、ただちにその情報を廃棄し、入手元を明らかにしなさい。さもなくば当方には法的措置を取る用意が・・・)

これは永遠に有効ではありません。なぜなら、私の頭髪はリアップによって見事復旧して、そのことは過去のことになるはずだからです。たぶん、そうなると思います。そういう希望を私は持っている。そういうことにしておいてくれ。だから、現実と戦っているのです私は。「見込みがない」なんて言わないで、お願いだから。

オーケー、現実を受けいれましょう。薄毛自体には復旧の見込みがないとしても、「悩んでいる」は今後、変化する可能性があります。「またあの薄毛野郎がデタラメを書いてら」とか「おまえの論理はスカスカだ。おまえの頭と一緒だな」などとツッコミに書かれまくったら、そりゃ最初は頭に来るけど、ディスプレイの二、三台破壊するくらいのことはあるかもしれないけど、毎日、毎日、そういうことを言われていたら、しまいにはいちいち怒るのにも疲れます。

生命と言うものは、環境に応じて変化するものです。情報は変化しないので、だんだんそれが差し示している内容と乖離してきます。

しかし「情報に関する情報」は永遠に有効です。「あるOSのあるバージョンにはこれこれの脆弱性がある」という情報は、永遠に有効です。常に真です。「essaは近頃、薄毛に悩んでいる」という情報は、コピーされて広まるにつれて、だんだんとその有効性を失なっていきますが、ワームはどれだけ広まっても有効です。なぜならそれは「情報に関する情報」「変化しないものに関する情報」だからです。

ですから、セキュリティに依存しない社会を作るためには、次の二点が重要です。

  • 情報に関する情報になるべく依存しない
  • 情報を生命に近づける

例えば、自分の住所は「生命に関する情報」です。こういうものは管理されるべきだし管理され得る。最悪漏曳した場合、引越すことで無効化できるからです。漏曳の可能性を小さくすればいい、そういう意味では管理可能です。

そういう実体とのつながりを持たない情報が、「情報に関する情報」であって、これは本質的に不安定で管理不可能です。こういうものに一定以上依存してはいけない。

ただ、これについては難しい所があって、お金が情報なので「お金に関する情報」は「情報に関する情報」なのです。これに依存しないとはどういうことなのか。我々はお金に何を預けているのか?それが問題です。

「情報を生命に近づける」とは、emacsのような多様性を情報に与えることです。情報は単一で、生命は変化し多様ですから、常に両者の間にはギャップがあります。生命が情報に近寄ることで、それを解決しようとするのは良くない。

情報を生命に引き寄せるのが正解なんだと思います。ニーズは人それぞれ個別ですから、ソフトをカスタマイズして使う、ローカライズして使う、必要があればソースを修正してリコンパイルする。

原則、それが許される社会であるべきで、それができるくらいの専門知識は教育する必要がある。そうしないと「情報についての情報」は危っかしくて使えません。

「モノカルチャー=セキュリティ脅威」理論は面白かったですが、「変異」に焦点をあてるべきだと思います。ブログによって伝播する情報はコピーの過程で変異していきます。これは「情報を生命に近づける」技術ではないかと思います。