She's not leaving home

ビートルズShe's leaving homeは、ある水曜日の早朝、両親に気づかれないように静かに家を出ていく「彼女」を三人称で描写する場面から始まる。

 Wednesday morning at five o'clock as the day begins
Silently closing her bedroom door
Leving the note that she hoped would say more

そこに、唐突に、一人称複数のカウンターメロディーが割りこんでくる。

 We gave her most of our lives
Sacrificed most of our lives
We gave her everything money could buy

二番になって三人称の場面描写が続き、この嘆きの主である「彼女」の両親が登場する。両親は、「彼女」の書き置きを見て衝撃を受ける。そこで再び、一人称複数のカウンターメロディーが割りこんでくる。

 We never thought of ourselves
Never a thought for ourselves
We struggled hard all our lives to get by

この両親に対する「彼女」の応答はない。「彼女」は、書き置きが、そこに書いてある以上のことを両親に伝えてくれることを祈りつつ、家を出た。もう「彼女」は家には戻らない。その代わりにポールが、三人称のままこれに応答するように歌う。

 She's leaving home after living alone
For so many years. Bye, bye

「全てを子供に捧げ、子供の為に生きてきた」という親と「家の中でずっとひとりぼっちだった」という子供の対立。その結果、子供が家を出て、伝統的価値観から離脱するという、いわば " She's leaving home " 問題は、この頃、たくさんの国でたくさんの家庭で、同時多発的に発生した。

この「彼女」たちが1967年に10代後半であったとすると、「彼女」たちは今、2005年には53才から58才になる。「彼女」たちの両親が "She's leaving home " 問題に悩んだ年齢を越えている。

「彼女」たちが今直面しているのは、 "She's not leaving home " 問題である。「彼女」たちのうち何人かは、物理的に家を出ない子供たちについて悩み、別の何人かは、伝統的価値観に回帰する子供たちを憂う。

問題は180度転回してしまったようでもあるが、同じ問題が繰り返されているようでもある。ビートルズが今、"She's not leaving home " という歌を作ったとしても、ポールは、三人称のまま同じように歌うだろう。

 She's leaving home after living alone
For so many years. Bye, bye

どんなに親が身をけずる思いで必死になっても、子供たちは常に家の中で孤独である。その孤独に未来がある。親が与えられなかったものを、子供が求めるのは当然のことであり、素晴しいことである。

1967年に家を出て行った「彼女」は、遠く離れた町で男と会い、funを持つ。この歌は「彼女がfunを持つ」というオチで終わる。両親の気持ちを代弁する、一人称複数のカウンターメロディーは、三番の最後でしぶしぶとそれを受けいれる。

 Fun is the one thing that money can't buy

箱入り娘を育てる為に犠牲にした自らの人生の帰結が、「モーター商会の男」とのfunでしかないことを、「彼女」の両親は受けいれている。

「彼女」たちも今、この瞬間に両親が放棄したのと等しい重みと等しい軽さの何かを、放棄するように求められているのだろう。