NHKスペシャル「子どもが見えない」

From 渋谷系@はてな

番組は見てないんだけど、これは実に注目すべき論評だと思う。


今の「大人」たちは自らの為している信仰についてあまりにも無自覚かつ無頓着であり、自らがなぜそんなことを行なっているのか、ということをまともに子どもへとコミュニケートできていないのではないか。そして、それが実際には大きな問題なんじゃないか。「死」を教える、とか、「生」の意味を教える、とかいった傲慢な戯言を述べるまえに、そうした無自覚さや無頓着さへの猛省が必要だろう。


現代の生死観において「大人」と「子ども」の間に深い溝を見出そうとするNHKの態度には、とても気味の悪いものを感じた。結局、番組はそこで「子ども」の世界観や死生観を「間違ったもの」として切り捨てているだけなのだ。それでは番組後半に登場した自己中親の態度とまるっきり変わらないではないか。自分たちだって「死」とはなにか、「生」とはなにかということについて分からず、知らないくせに、いかにもそれが教授可能な知識であるかのように提示するという欺瞞。

すごくよくわかる、というか、これは、長年、僕が怒っていることのようだ。希望の国のエクソダスの感想文として、昔書いたことにつながっているような気がする。ここで論じられているように、「死」に対する向きあい方において典型的に問題が露呈しているけど、それ以外のいろんなことにも言える話だ。

「大人が『間違ったもの』として切り捨てて」しまうことの根拠は、「なんとなく自分たちのやり方と違うから」。

そして、どこが違うのかを説明できない。説明させるとキレる。

どこが違うのか説明できないので、「なぜ僕たちはあなたのやり方に合わせなくてなくてはならないのですか?」という質問に答えられない。もちろん、自分たちがなぜそれを選んでいるかについて説明できない。

自分の持っているものに対する自覚の無さは、昔からあったのかもしれないけど、最近はそれに「自尊」の無さが加わっている。子供たちに押しつけるくせに、それを自分たち自身が尊重してないのだ。

自尊・自覚のない大人が、自分たち自身が大事に思ってない癖にそれを押しつける。しかも、そこには一切のコミュニケーションがない。これにどう反応したら、「健全」と言ってくれるのだろうか。

僕がそれでもあまり絶望しないのは、今の子供たちは、こういう「大人」という、とてもコミュニケーションするのが難しい異人種の中で育っているから。たとえ、そこで苦しんでもうまくやれなくても、世界に出たら、これほど難しい人たちはそうはいない。ここで苦労したことが力になるんじゃないだろうかと思うから。

例えば、少しだけ読解力があれば、哲学や政治思想をラディカルに実体験と重ねあわせて勉強できたりする。この変な大人たちが作りあげた社会は、一種の極限状態だけど極限だけに、使い道はいろいろあると思う。2ちゃんねるは、画期的な「公的領域」であって、自慢できるし輸出できると思うのも、そういう読み筋だ。