「ユビキタス社会」という言葉はハニーポッドにしよう

基本的には同感だけど、次の二つは分けて考えるべきだと思う。

  • "ubiquitous society"という英語
  • ユビキタス社会」という日本語

英語の"ubiquitous society"は、明かに誤用だし恥を書くし通じないから使うべきではない。それを啓蒙することは大事。

でも、日本語の「ユビキタス社会」という言葉を消すことには反対。

ユビキタス社会」という言葉には私も強い違和感があるけど、違和感のある言葉が蔓延するのは、中島聡さんと私と(これに共感するその他多くの人)が共通に持っているその感覚と違う言語感覚の持ち主が多いからだろう。「ユビキタス社会」と言う言葉を消しても、違う言語感覚の持ち主が消えるわけではないし、むしろ、そういう人たちを研究したり、そういう人たちとコミュニケーションする為の道具を一つ消すことになる。

つまり、「ユビキタス社会」という言葉は一種のハニーポットになるということ。犯罪者ではなくて特定の世界観の持ち主を引きよせるマーカーのような役割を果たすことができると思う。

この啓蒙運動が広がった後になおも「ユビキタス社会」という言葉を使う人が「ユビキタス・コンピュータ、ユビキタス・ネットワークの実現された社会」をどう見ている人なのか、そこに私は興味がある。想像すると、英語の持つ強固な論理性に無意識的な反感があるか無頓着な人であって、言葉が主体と客体の関係を繋ぐものであるという意識が薄い人、つまり、社会というものを「場」や「空気」の集合体として見ている人ではないか。

もちろん、英語力の不足や単なるうっかりした誤用が大半なのかもしれないが、その中には世界観の問題が潜んでいるような気がする。強制的に「ユビキタス社会」という言葉を消してしまったら、そういう人たちを識別することが難しくなってしまう。

一般的に言って、違和感のある言葉は世界観の違いのシグナルであって、その世界観の違いを知る為にその言葉は必要だと思う。