BLOG=富豪的権威づけシステム

オープンソースの本質は「富豪的テスティング」である。

従来、ソフトウエアの開発において最も希少な資源はテスターであった。テストする人がいかに効率よく無駄な作業をしないで、きちんとできるかどうかが、ソフトの品質を決定していた。

しかし、オープンソースではテスターは最も余っている資源である。さまざまな環境のユーザがさまざまな観点からテストをして結果を報告してくる。テスト担当のマネージャーが見たら、これだけテスターがいるのにみんなが好き勝手にテストして無駄だらけだと思うだろうが、それはテスト環境とテスターの確保に四苦八苦している貧乏人の発想である。実際、俺もamritaを公開して設計者やコーダーとして協力してくれる人より先に、たくさんのテスターをgetした。人数を確保できれば、好き勝手させておいてもそれなりの結果は出る。

ところで、学者という専門職が何故必要か考えてみると、権威ある学説に対するニーズがあるからだ。権威とは概念や考察に対するテスト報告書である。学者は専門分野に関して幅広い知識を持っており、常に同業者の業績をチェックしている。つまり、自分の説に対して網羅的なテストを行なえる人間であるということだ。その役割を期待されて、それ専門の業務についているわけである。

「権威ある学説」とはそのようなきちんとしたテストという工程を経由した、一定水準の品質を保証できる学説ということなのである。

世の中がトンデモばかりになってはいろいろ不都合がある。「権威ある学説」が必要であるというのは、普遍的な真理である。ただし、「権威」をどう製造するかという方法論は状況によって変化する余地がある。

知識を分野ごとに個人に集中させて、その個人が権威を製造していくのが最も効率的であるのはネット以前の話だ。テスターがいくらでも湧いて出てくる時代には、分散的権威づけ、あるいは富豪的権威づけでフィルタリングを行なうBLOGというシステムが最も効率的なのである。