創発的権力=トレーサビリティ+再帰的重みづけによる時間圧縮

私は、漠然とネットの中で自然発生する権力を創発的権力と呼んできたけど、ここで、少し形式的で厳密な定義をしてみたい。創発的権力とは「トレーサビリティと再帰的重みづけによる時間圧縮機能を持つURL評価システム」である。過去の権力との違いを抽象的にとらえようとしたら、この定義がよいと思う。

まず、創発的権力とはURL評価システムである。創発的権力はURLによって参照されるWEBページを評価して、ランキングを作ったり、評価点を与える。Googleページランクはてなブックマークのように、注目点を抜き出すサービスである。

創発的権力は決して何かを強制するわけではない。単にページを評価するだけである。例えば、Googleが作成した検索結果を逆から見ることを妨げることはない。多くの参加者が自発的にそれを信頼し活用することから影響力が発生する。

次に、トレーサビリティとは、その評価に関わるプロセスを事後的に確認することが可能であることだ。はてなブックマークは、ブックマークの登録の集計である。誰がそれに投票したかは、(隠す設定をしない限り)公開されている。従って、創発的権力は、その評価の責任を免れることができる。たとえ、あるページが不当に高く評価された(ように見えた)としても、その評価は、参加者の評価の結果であって、創発的権力自身はその評価には参加していない。

2ちゃんねるで注目されるスレッドは、「レス」という形で投票された結果の集計として上位にランキングされる。全ての投票は「レス」という形で公開されている。利用者は全ての「レス」に反論したり、「レス」を分析することが可能である。

トレーサビリティがあることで、個別性を保持した集団行動が可能になり、それが創発的権力の信頼性に寄与することとなる。創発的権力のランキングは、自発的な行動の集積から生まれる。少なくとも、それが本当に自発的であるかどうか、第三者が検証することを可能とする。

そして、もうひとつの、最も重要な要素が「再帰的重みづけ」である。Googleページランクは、「リンク」という投票の集積であるが、全てのリンクが同等に評価されるわけではない。有名ページからの「リンク」は、一般のページからの「リンク」より高く評価される。誰を「有名」と判断するかの決定方法が、創発的権力の最も大きな特色である。

過去の権力は、発言の重みづけを外部的な要因によって行なってきた。例えば、新聞の書評欄で取りあげられた書籍は注目されるが、新聞社が書評する人を選択する。書評する人の重みづけと、書籍の重みづけが別のシステムによって行なわれている。

創発的権力では、書評自体もひとつの書籍として平等に評価され、その評価が書評の権威を生み出す。有名なブログからリンクされたブログは有名になるが、そのブログがなぜ有名かと言えば、多くのブログからリンクされているからだ。

そのような「再帰的重みづけ」は、WEB自体の性質として潜在的にあったと思われるが、それを意識的にアルゴリズムとして取り出したものがGoogleページランクである。

はてなブックマークでも、完全にシステム化されてない「再帰的重みづけ」が発生している。

私の経験だと、自分の書いたエントリーがid:umedamochio氏のような有名ブックマーカーにブックマークされると、ブックマーク数の伸びがスピードアップすることが多い。これはumedamochio氏をお気に入りとして登録している人が多く、umedamochio氏がブックマークした記事は、多くの人の目に触れるからだと思う。それでは、ブックマーカーとしてのumedamochio氏の重みはどこから生じるかと言えば、umedamochio氏のブログが多くの人にブックマークされ注目されているからだろう。

そして、この「再帰的重みづけ」のあるシステムが何故、ユーザに好まれるかと言えば、このシステムは、時間を圧縮する効果があるからだ。

つまり、例えばumedamochio氏のような有名ブックマーカーが、本当によいページを発見することが得意であって、そのことが評価されているとしたら、umedamochio氏のブックマークする記事は、充分な時間さえあれば多くの人の注目を集めるはずである。もし、そうでなくて、umedamochio氏の注目する記事が、彼が取りあげない限り多くの利用者に興味のないものであったとしたら、そもそもumedamochio氏が有名ブックマーカーになることはない。つまらない記事ばかりブックマークしている人は、「お気に入り」に登録されない。

ということは、もしumedamochio氏がいなかったとしても、彼のブックマークするはずだった記事は、いずれ、多くの人の注目を集めるはずである。

再帰的重みづけ」によって影響力を確保したumedamochio氏のしていることは、その過程を早めているだけのことである。彼がいてもいなくても、最終的なページの評価は変わらないが、評価システムがその均衡点に達するまでの時間は、彼の存在によって大幅に短縮される。

つまり、「再帰的重みづけ」による評価は、評価システムが本来の評価点をつけるまでの時間を短縮する機能があり、単純な投票と本質的に違う所は、その「時間圧縮効果」だけである。

もちろんこの変化の激しい時代において、「時間圧縮効果」は大きい。この効果が無かったら、評価が均衡点に達して、よいURLが浮上する前に、話題自体が過ぎ去ってしまい、それらが注目されることは実際にはないだろう。

以上のようにな意味で、ネットは全体として「トレーサビリティと再帰的重みづけによる時間圧縮機能を持つURL評価システム」である。また、同等の機能を持つサブシステムがネットの中には多く存在する。これらの政治的な影響力は、日々強くなっている。

そのことが、過去の政治プロセス、合意形成プロセスとどのような違いをもたらすか考察するには、この「トレーサビリティ」と「時間圧縮効果」を抜き出して考えることが、重要だと私は考える。利用者が創発的権力に対して持つ信頼感は、「トレーサビリティ」と「時間圧縮効果」から生まれているからである。よって、この二つの副作用を充分検討することが必要だろう。