創発的権力の汚染問題と純化問題

社会契約によって信任される権力には「汚染」問題が必然的に伴なう。与党は公約を信任されているので、族議員のような公約にない要素がその遂行を「汚染」することは問題である。新聞社は見識を信任されているので、自分が誇る見識のみに従って記事を書くことを求められているが、その見識に違反する要素によって「汚染」されてしまうことは、読者に対する裏切りである。

創発的権力が「トレーサビリティ」と「時間圧縮効果」によって信任されているとしたら、この二つの要素の純粋性が保たれなくてはならない。そこにも過去の権力と同様「汚染」問題が発生し得る。

ただし、「トレーサビリティ」に関わる「汚染」は、容易に検出される。

例えば、はてなブックマーク人気エントリーに、特定の政治的主張のみが多く現れたとしたら、それをブックマークしたブックマーカーの大半が、実際には存在しないブックマーカー(WEB上の「私生活」がないブックマーカー)となる。トレーサビリティを確保したまま「汚染」することは難しい。

よって、注意すべきは「時間圧縮効果」に関わる「汚染」である。

再帰的重みづけ」の評価システムを少しづつ歪めることで、特定のURLに高得点を与えることは可能である。そのような「汚染」は判別しにくい。判別が可能であったとしても、それには調査、解析の為の時間を必要とするので、「時間圧縮効果」に追い付くことは難しい。

従って、創発的権力を社会契約として信任する場合には、「時間圧縮効果」すなわち再帰的重みづけに対する透明性の確保が重要な課題となる。

とは言っても、これは本質的には従来の政治的権力に関わる汚染の問題、例えば公務員に対する贈収賄のチェックシステム等と同等の問題であり、同じチェックシステムによって対応することが可能である。政治的権力に常につきまとう問題であり、決定的な回避策はないものの、致命的な問題とは言えない。

しかし、創発的権力には、これと違う種類の問題、「純化」問題が存在する。

与党がいかに「公約」を真面目に遵守しようが、それが問題となることはない。綱領を通りの記事を書く新聞社はめったにないが、綱領から一歩もはみ出さない新聞社が問題になることはない。つまり、過去の権力には「汚染」問題はあっても「純化」問題は存在しない。

創発的権力は「汚染」が問題になる一方で、「純化」という別の問題が存在する。創発的権力の「純化」とは、そのシステムがアルゴリズムに従って、徹底的に機能することであり、創発的権力は「純化」すればするほど、より強い信任を得て、より強固な権力を持つ。

だが、過度な「トレーサビリティ」は監視社会であり、過度な「時間圧縮」は、世論の気紛れさへの過敏な反応である。

過激な創発的権力は批判されるだろうが、その批判を「汚染」と区別することは難しい。創発的権力への「汚染」は、「純化」問題への批判の衣をまとうだろう。

従って、創発的権力の影響力が増していく過程で、「汚染」問題と「純化」問題が同時に深刻なものとなることが予想される。

例えば、ブログや掲示板のようなネットによる開かれた意思決定を標榜する政党が出現し、その政党は自身が創発的権力であることによって信任を得る。ただし、その内部の意思決定システムは特定少数の利益によって微妙に操作されており、その政策を大衆の支持として強制する。

その「操作」の部分は公開されないが、それを「良識」による最低限の介入として正当化する。あえて、「操作」の無いシステムを運用し、それが暴走することを示した上で、「良識」を導入するとして「良識」の衣をまとった「操作」を導入し、それは暴走や外部からの恣意的な介入を防ぐ為にクローズとする。そのように発表するわけである。

実際に、Googleは検索結果の表示順位決定の全てのアルゴリズムを公開していないが、それはSEO対策の一部として、利用者には受けいれられているように思われる。「純化」問題への対策を装った「汚染」は、これと似たような正当化によって導入されると思われる。

具体例は思いつかないが、同様に、「汚染」対策をすることで「純化」問題が深刻化する可能性もあるだろう。

このように、創発的権力には、「純化」問題という、政治的権力として従来と全く性質の違う問題が存在するのである。