宇宙家族ロビンソン的過自助努力系

セカンド・カップ はてな店から


テレビで見た映像では、車の中に陣取ったまま絶対出ないとがんばってるおじさんが印象深かった。でもって、様子から見てちょっと普通の精神状態には見えなかった。これは水害のパニックかもしれないし、それだけでもないかもしれないし、どちらかはわからないが、ともあれ現状、常識的な判断ができなくなっていることだけは確かだった。暑いし、水もない、家ならともかく車の中だ。その時ですでに水害の日から4,5日たっているわけで、生きていたことがとりあえず幸運だったかもよ、という状態だ。が、それでも救援者(州兵のように見えたが)の説得に応じず、最後は、兵隊のにいちゃんたちが、車の窓をハンマーでぶち壊して引きずり出そうとした・・・がそれでも限界がある。出せない。で、さらに話を続け、結局、タバコでもどうだとなって、これが効いて、おじさんは車から出てきてボートに乗った。

この前後を含め、生々しいレポートと控え目ながら深い分析がありがたい。

それでこれは、非常に象徴的な場面だと思うけど、子供の頃に見た宇宙家族ロビンソンを思い出してしまった。タバコをすすめたにいちゃんは、任務には忠実でも、内心では完全にこのおっさんに同情的であって、だからうまく気持ちが通じたように思える。自助努力には常に共感し、多少行き過ぎて迷惑をこうむっても同情的なのが普通のアメリカ人の感性なのだろう。

壊れる人は常に全体のごく一部だけど、壊れる人が壊れる方向は、全体の何かを指し示している。パニックしていざという時本能的に頼る先は「自助努力」なんだこの国では。

アメリカで市民の武装解除が難しいのは、単なる圧力団体のロビイングの問題ではないと思う。銃を手放せないのは、それが暴力の象徴だからではなくて、自助努力の象徴だからだろう。

アメリカのいい所も悪い所もここであって、日本はジャストその逆になっている(水戸黄門的過他力依存系?)。逆になっているから、いいパートナーにもなれるし、ほぐし難い因縁も生じる。まあ、普通に言ってくされ縁ではないですか。

あたり前だけど、国というものはどこの国も動かし難いヘソを持っているもんだなあと思う。

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