リフジン不足と権威受容体

人間は心の安定のために、一定量の「理不尽さ」や「不条理」を必要とする。ビタミンのような一種の栄養素としての「理不尽さ」をリフジンと呼ぶことにする。突然キレる暴力や不可解犯罪は、リフジン不足のためにリフジンを自家生産しているのだと考えると理解しやすい。カルト宗教や詐欺犯罪はリフジンを提供して人を集めるのかもしれない。

リフジンは主として権威から摂取される。現代人のリフジン不足はこの経路がうまく動いていないためである。だが、それは権威の側の問題ではなく権威を受ける側の問題である。権威からリフジンを摂取する器官、言わば権威受容体が未発達なのである。

権威を権威として認めそれに従うかどうかは別の問題である。心の健康の問題としては、服従するか反抗するかは関係なく、権威からリフジンを摂取できるかどうかが問題だ。権威が権力や社会的な合理性として説明できてしまうと、リフジンが摂取できない。説明できない理不尽さがあれば、権威に対して反発することでもリフジンは摂取される。そのような権威から権力と合理性を取り去って残る「理不尽さ」というものを感じる器官が権威受容体である。この権威受容体がないと、外的環境にかかわらずリフジンが不足してくる。

大人に一定量のリフジンが蓄積されていれば、それに刺激されて子供の権威受容体は正常に発達する。回りにいる大人のリフジンが不足すると子供の権威受容体が未発達となる。その子供はリフジン不足のまま大人になり、次の世代はさらに権威受容体が未発達となる。つまり、この問題は世代ごとに蓄積され拡大再生産される性質がある。

日本でリフジン不足が深刻な理由。

  • 宗教の代わりにリフジンを提供してきた権威としての共同体の崩壊
  • 戦後50年の社会の連続性のため、リフジン不足の蓄積が進行した
  • リフジンの豊富な江戸時代から急激に近代社会に突入したため、リフジン不足への備えが民衆の知恵として根づいていない。

こう考えると、リフジンを適度に供給しつつ合理的で安定した社会を実現した徳川家康の偉大さが見えてくる。

一応言っておくが、もしリフジンを他人に提供しようと思うなら、まず自分の中にリフジンを豊富に蓄積することが先である。つまり、誰かがいきなり理不尽な権威になれば解決する問題ではない。