組合に囲われた生活なんて飲んでなけりゃやってられないね

自治労が醜態をさらしている。

ストリームのPodcastの方がわかりやすいが、自治労のサイトに「飲酒運転防止の行き過ぎ」として、一部の自治体で採用されている飲酒運転即免職という方針に異議を申し立てるような記述があったらしい。

「法律相談」(顧問弁護士の見解)として出しているのだから、法的な根拠があって言っていたのだと思う。それなのに、ムーブから取材が入ったら、すぐ削除してしまったそうだ。現在は、問題のページが削除され自治労通信2005年7・8月(713号)「困ったときの法律相談所 飲酒運転防止の行きすぎ」の削除についてという言い訳のページが残っている。

権利を主張するのは大事なことだ。私だって自分の権利が侵害されたら、あるいは侵害の恐れがあったら、公的な場でそれを主張するだろう。自分の見解が通るとは限らないが、それが誰かに認められなかったとしても、その主張を取り下げることはない。

権利とはそういうもので、主張する時は、何はばかることなく正々堂々と主張し、誰に何と言われようが引っこめる必要はない。誰かにそれを見られたら引っこめるようなものは権利ではない。

組合が守りたい労働者の権利とは、世の中に知られてはマズい性質のものであるらしい。立派な仕事をしている労働者が不当に解雇されてそれと戦うなら、それを隠す必要はない。誰だってそれを応援する。組合が納税者に隠れてコッソリ首長に圧力をかけてないと守れない職なんだろうか、地方公務員というものは。

いい加減な仕事をして組合に守られて給料をもらうっていうのは、楽しいことだろうか。そんな金をもらっていたら、組合以外が全部敵に見えてくるだろう。

いい加減な仕事をして給料をもらうより、いい仕事をして世の中に貢献して給料をもらう方が楽しい。いい仕事をして給料をもらえば、客も上司も部下もみんな味方に見えてくる。世界が全部味方に見えてくる。

労働者には、自分が世の中に貢献できる仕事をする権利がある。本来労働組合というものは、その権利を守るべきだ。自治労は、そういう権利を守ってくれるているのだろうか。いい仕事をしたい人を応援してくれるのだろうか。

風見鶏のように権利を出したり引っこめたりするような組合では、不安でしょうがないね。しかも、その組合以外に自分が働くことを歓迎して応援してくれる人がいなかったら、ますます心配だね。そりゃあ、飲んでられないとやってられないかもね。

そんな組合にガッチリ囲われた生活は息苦しいだろう。全てを壊したくなって、自滅的な行為をせずにはいられない気持ちもわかるような気がする。

飲酒運転の常習者は、飲酒でも運転でも単独では解消されないストレスを持っている。飲酒と運転を同時にしてスリルを味わいたいのだ。

でも彼らに教えてあげたい。きちんと評価されるような仕事にもストレスはあるけど、そういう種類のストレスはない。仕事をして、それがいい仕事になるかならないかわからないギリギリの所で頑張るスリルは、たぶん、飲酒運転よりもっとスリリングだよ。しかも失敗しても自治労よりは公明正大な味方は常にそこにいるものだ。少なくとも、世界中全部敵に回すような不安はない。

「いい仕事」って言う言葉を、少しの努力で手に届く所にあるもののように語る私は、彼らからひどく憎まれるのだろうか。それを当然のことのように言う私はものすごく贅沢で幸運で、傲慢な世間知らずに思われるのだろうか。

もし、「いい仕事」という言葉が、誰にとっても理想的で空想的で自分にとって縁遠い話にしか思えなかったら、世の中が間違っている。その時こそ労働者は団結して立ち上がるべきなのだ。