サービス産業の雇用吸収力が破壊される時に多様な価値創造ができるようにするには

山形浩生さんにコメントをいただいたみたいなので(リンクがないけど、たぶんこの記事に対する批判だと思う)ちょっとだけ。

一次産業や二次産業は、がんがん機械化が進んでいて、労働生産性はむちゃくちゃ高い。でっかい自動車工場や火力発電所で働いている人の数はおどろくほど少ないから、労働生産性で見たら工場の工員さんのほうがずっと生産性が高いんだよ。

これは、一次産業や二次産業が既に知識産業化している証拠だと思う。工員さんたちは、ITで武装して非常に高度なノウハウで仕事をしているから生産性が高いのだろう。そして、このことはすぐ前に書かれている次の事実と表裏一体となっている。

優秀なプログラマたちは、自分たちの生産性がものすごく高いと思っている。でもかれらですら、実は五十歩百歩。だってしょせん人間がシコシコ書いてるんだもの。でも、だからこそ第三次産業/サービス産業は雇用吸収力がある。

世の中には、労働生産性の高い職場とそうでない職場があって、ソフトウエア開発は後者に属しているということには(激しく)同意するけど、そのバランスが崩れないという保証はあるのだろうか?

というか、製造業において過去に起こったイノベーションと同質のことが、サービス産業において起きているのが、今のWebだと思う。Webはサービス産業の雇用吸収力を破壊して儲けていると言った方がいいかもしれない。

「比較優位」の原則があるから、「雇用吸収力」はサービス産業からはじき出されても、結局はどこか別の所に居場所を見つけるのかもしれない。低生産性の雇用吸収力のある一連の産業が起きて、結局は今の通りになるのかもしれない。そういう不変の法則を追い続けるのが経済学の王道だとは思うけど、それって「津波が来ても水位の上昇は一時的なもので結局は元に戻る」みたいな話ではないだろうか。

労働統計に出てこないからって仕事してないわけじゃないですからね。多くの人は給料もらってなくても、世界においては価値創造をしているんだよ。

これは全く同感である。というか、来たるべき雇用環境の激変に備えて、このことを手をかえ品をかえ、いろいろな形でアナウンスすべきだと私は思っている。給料をもらわないで価値創造をする生き方は多様になり、それを選択する人が増えるだろう。