「千人の忠実なファン」を持ち、バカッターバイトをかばえる店長の時代

何周遅れかで、バカッター炎上問題ですが、ネタは2007年の記事です。

このような問題に対応するために店員の給料をあげたり教育に力を入れたりすれば、当然コストがかかります。それはあたりまえですが値段に上乗せされるわけです。

これからの10年で消える職業というのはいくつもあると思いますが、「安価でそこそこおいしい食事を提供してくれる外食チェーン店」という存在もまた、もうすぐ消えてしまうのかもしれません。

らばQさんが、この時点で指摘されていたことですが、これは「外食チェーン店」というビジネスモデルの危機なんだと思います。

これが問題になるのは、店長とバイト、店長と客の間の人間関係が薄いから。

ブランドが大きいのでバイトも客もたくさんいて、問題が起こる確率も高くなり、起きた時の影響範囲が大きくなります。

そして、これの逆を行くビジネスモデルについて予見しているのが2008年のこの記事。

これは飲食業界ではなくアーチストのビジネスモデルについての記事です。今までは「10万人の平凡なファン」を持てることがプロになるための必須条件だったが、これからは「千人の忠実なファン」を持つという行き方もあるのではないかという話。

飲食産業にも同じことが言えると思います。店長や店員と客の間に個人的な人間関係がある店であれば、バイトがバカなことをやっても、少なくとも、店長がバイトを厳しく叱責した上で、謝罪するチャンスはあります。

客がとんでもないことをしたら、他の客は、「店長は被害者である」という視点で見るでしょう。最近の炎上では、客がやったことでも、店が完璧かつ過剰な対処をしないと、加害者と同一視されて批判されてしまいます。

私は、上記のらばQさんの記事を受けてこれを書いたのですが、そもそも外食チェーン店は大量生産、集中管理という製造業のビジネスモデルを外食産業に持ちこんだものです。そこには、品質価格面での大きな優位性があって、人間的なサービスが中心の個人の店を淘汰していきました。

SNSは、その力学を逆転させてしまうのではないでしょうか。

そして、品質(の均一性)や価格は外食チェーン店のレベルでなおかつブランド的には店長個人の顔が見えている店、もクラウドを活用すれば可能になるのではないでしょうか。

あまちゃんの喫茶「リアス」のように常連だけの店が復活するということではなく、地域に根差していても、徒歩圏内よりもうちょっとだけ広い範囲から客を集める別の方向があるような気がします。

もちろん、不潔だったりあまりにも規律に欠けた店は、時代がどう変わろうがダメです。ただ「この店長なら炎上してもコッソリ味方になる」というファンを持っていれば、店にもバイトにも復活のチャンスはあるでしょう。

これからやってくる総透明社会では、寛容にならない限り、苦しくて苦しくて堪らない状況になっていくと思いますよ。みんなそれがわかっているのか。

本当にそうだと思います。

寛容は必要ですが、規格大量生産の一律の寛容は求められないので、多品種少量生産の寛容と必要悪としての炎上が共存できる社会が来ればいいと思います。