安倍首相は「無主物」に真正面から向きあってほしい

間違った方向に発揮されていると思うが、安倍首相のプレゼン能力とリーダーシップはすごいものだと思う。ネイチャー誌の異例の社説をはね返したのだ。世界に通用するプレゼン能力を持つ政治家を日本が持てたことは、喜ばしいことだと思うが、同時に、よりもよってそっちに頑張るのかとも思う。

日本がかかえる問題が、財政難やデフレ不況であれば、強引なやり方でも人の心を上向かせることを優先することは正しい。政治や経済には慣性があって、いったん回り出せば、小さな問題は自然に解消されていく。政治家の仕事とはそういうものだろう。

しかし、原発問題は人の心や組織のむこうに、露出した使用済み核燃料という「モノ」の問題がある。スタジアムや道路やビルは「モノ」だが、その「モノ」の回りには人がいて、その人を動かせば「モノ」は動く。「無主物」はそうはいかない。

東電は時々、味わい深い独特の言葉の使い方をするが「無主物」という言葉はその一つだ。これは東電の無責任を象徴する言葉として流行語になったが、ある意味、原発問題の本質を突いている鋭い表現だと思う。

溶け落ちた核燃料や、拡散した放射性物質は「無主物」で、それに最後まで責任を持って処理する組織や担当者がいない。

東京電力福島第1原発廃炉作業で、東電は4日、早ければ2020(平成32)年にも開始するとしている原子炉内の溶融燃料の取り出しについて、燃料を冠水させた状態で取り出す手法の実現が不透明なことから、冠水させずにそのまま取り出す手法について検討を始めたことを明らかにした。

このニュースは、「東電が正式に格納容器の修復をあきらめた」と読むべきだと思う。そうだとしたら遅いけど正しい判断だが、容器が直せないのに、水という遮蔽物なしで中の燃料を扱うというこの話は、実現性がかなり疑わしい。

除染もそうだが、リーダーが「無主物」に向きあわず人や組織にプレッシャーをかけると、意味がないことや不可能なことでも、とりあえず何かやってる雰囲気を作ろうとするのだろう。そうするしかない気持ちもよくわかる。技術者も組織に所属したら「空気」の中で仕事をしているのだが、自分の扱うモノが「空気」を読んでくれない時、本当にいたたまれない気持ちになるものだ。

「無主物」と組織の「空気」が対立した場合、「モノ」の論理に従う人は、問題を解決しようとする人でなく「とことん空気の読めない奴」と呼ばれる。できないことを「できない」と言わないと対策の立てようがないが、今のこの空気の中でそれが言えるだろうか。

リーダが「モノ」の立場に立って応援してくれないと動きようがない。

安倍首相が今回見せたリーダーシップをそういう方向で発揮してくれることを望む。

一日一チベットリンク消されゆくチベット2013年夏 [科学に佇む心と身体]