「食は足りても職が無い」から「職は無いけど食はある」へ
bewaadさんからもコメントをいただいていて、私なりに要約すると「胃袋が満たされるだけの供給はIT無しでも可能。でも、それで欲望が充足することは当分ない」という話。
例えば食に関しては、Dan Kogaiさんが「食料なら、すでに80億人分ある。15億人分も過剰だ」とご指摘ですが、これとて肉食というカロリー充足を基準にすれば非効率極まりないものを相当程度含んだベースでのことです。畜産を廃して飼料生産を食用に振り向けるならば、倍を超える人数を養えるだけの食料生産が可能でしょう。ヒトの欲望に応えるため、しなくてもいいことをしているのが現状なのです。
まずは、bewaadさんのようなスタンスの方が「食なら満たせる」と簡単におっしゃったことに驚きました。やっぱりそうなんですね。
しかし、これはITやネットの力を借りるまでもなく、それ以前の段階でその状態にある。だから、食が足りたことで変化が起きるなら既に起きているはずだということだと思います。
100年以上の時を経て実現した生産性向上によっても満たされることがなかったヒトの欲望が、どれだけGoogleらが優れているとしても、そう簡単に満たされるはずもないと考える方が合理的です。
確かに、Googleは「欲望」の形を変えるようなイノベーションではありません。むしろGoogleは、マルクスが描き出した「欲望」の形に忠実であり、先祖帰りと言った方がよいでしょう。
しかし、両者には重要な違いがあります。それは、Googleを理解することは資本論を理解するよりずっと簡単であること。Googleはマルクスのヴィジュアライゼーションです。
食は足りても職が無く、欲望が満たされないというこの状況は、Googleによって強化される。そして、その状況全体がGoogleによってより露になる。
たとえば、「物神化」なんていう謎のタームを知る人は少ないし、それが自分の日常生活に直結している人なんてほとんどいません。しかし、「ページランク」に生活や実存が左右される人は、これからたくさん出てきます。モノでもある商品が物神化しているだけの世界より、「ページランク」が物神化する世界の方が、マルクスの言ったことを説明するのは楽でしょう。
切実さと馬鹿らしさが同居したこの状態がよりくっきりとヴィジュアライズされているこの世界の方が、「食は足りても職が無い」というネガティブな見方から「職は無いけど食はある」というポジティブな見方に移行できるチャンスが多いと私は思います。
(2/9 追記)
それマルクスの予言まんまじゃん。それがリアルに感じられるのはやっぱり、へんな時代に生きてるなって思うね!
ほぼ同じ趣旨のブクマコメント。これは見落してて、このエントリを書いてから気がつきました。