シリコンバレーの労賃はインドなみになる
雇用とは、ある一定期間の間、労働者に指揮監督して働かせることです。労働者は労働時間を使用者に売るだけであって労働の結果については責任はとりません。
アンカテ(Uncategorizable Blog) - 巨大なラーメンとアンカテ(Uncategorizable Blog) - 「巨大なラーメン」への構造主義的言い訳という二つのエントリに、id:dekainoさんからコメントをいただいて、後者でちょっと長い議論につきあっていただきました。(ありがとうございます。 > id:dekainoさん)
その中で、私がイメージだけで漠然と「身分モデル」と呼んでいた考え方の輪郭がはっきりしてきたように感じます。冒頭の引用はid:dekainoさんのコメントからの引用ですが、それを端的にまとめた表現になると思います。それ以外の所も、けっこう面白い議論だと思うので、興味のある方はぜひ全文を読んでみてください。
それで、この議論をしながら関連するテーマとして「シリコンバレーの労賃はインドなみになる」ということを考えていました。
賃金でなく労賃という言葉を使ったのは、雇用主が明確に作業の内容を指示して、労働者は自分の判断を一切行わないでひたすら指示に従うような仕事を想定してのことです。
シリコンバレーは生産性の高い頭脳労働のメッカですから、賃金は高くなります。直接的に高くなるのは、仕事の最終的な結果について責任を持つようなタイプの労働者のものですが、そういう仕事が多い地域では、単純労働の労賃も上がるというのが、従来の経済学的な常識だと思います。このことは、次のエントリにわかりやすく解説してあります。
それで、私の主張は、一見、この常識と逆を言っているようですが、実はこの分析に添っているのです。
生産性の高い労働が単純作業の賃金を引き上げるのは、前提として「外国人労働者が働くのを妨げるさまざまな障壁がある」という仮定があります。
シリコンバレーは、この障壁が世界で一番低い地域になると私は予想します。だから、「労賃」の水準は、先進国の中で一番低い地域になるでしょう。
どういうことかと言えば、シリコンバレーにおいては、一般的に政治的課題と見なされる「障壁」が、技術的に突破されるのです。つまり、ネットによる国際協調労働のシステムが急速に進歩していて、その先端にあってその成果を一番先に活用するのがシリコンバレーになると私は考えています。
日経ソリューションビジネス1月15日号の特集で、海運会社のCIOのインタビューが載っているが、その中で「海運業務システムの領域では日本のSIerの出る余地はないし、必要もない」と彼は語る。しかも、システムの開発は米国で行い、その運用はインド企業に任せるという。この運用のオフショアリングのマネジメントは米国で行う。つまり、システムの開発から運用まで日本のITサービス会社に出る幕がないだけでなく、ユーザー企業のIT部門の機能も海外だ。
この記事の一番のポイントは、「運用のオフショアリングのマネジメントは米国で行う」ということです。"The World Is Flat" (関連→アンカテ(Uncategorizable Blog) - The World *IS* Flat)に出てくる話ですが、アメリカはもともと国土が広いので、国内だけで閉じた仕事でも電話会議等の通信機器が活用されてきた(せざるを得ない)国です。大半の仕事における共同作業は、単に相手とチャットやメールができればいいというものではなくて、さまざまな例外的な事態にタイムリーに対応して顔を突き合わせて議論して進めていくものです。しかしアメリカは広く経済的に多極化しているので、もともと物理的に会うということに地理的な困難をかかえた国だったわけです。
つまり、ITとかネットとか言う以前に、作業の責任分担や連絡の方法を、意識的に対象化せざるを得ない国だったのだと思います。
Web2.0的なサービスの中で、純粋に消費者向けのプロダクツを除くと、37 SignalのBaseCampのような、遠隔地にいるメンバー同士が共同作業を進めるものが多いと思います。
これは、アメリカがネットの先進国であるというだけではなくて、もともと、そういう共同作業に対するニーズがあったということも理由になっていると私は考えています。それをベースとして、同じ英語圏のインドに対するオフショアリングが発展しているのではないでしょうか。
私は、IT業界の中での噂話としては、オフショアリングの失敗例をよく聞きます。そういう話を聞くと、オフショアリングとは、頭で考えるほど簡単なことではないなあということを痛感します。また、単に通信機器が発達して電話会議ができればすぐできるものでもないと思います。
しかし、ネット以外のプラスアルファが必要だとして、そのプラスアルファがシリコンバレーでは急速に発達しているのではないかと予想します。SaaS方式のサービス市場が拡大しているのは、そういうプラスアルファの部分、経営手法の進化によってそれを活用する体制ができているからではないかと。
シリコンバレーに住んでいる労働者は他の地域より賃金が高いので、そういうノウハウに投資し、インドと協業できる範囲を広げていくことには経済的な合理性があります。The World Is Flatには、インド人の優秀な大学生にテレビ電話を利用して家庭教師をさせるという事例が出ていましたが、そういう思わぬ所をオフショアリングする為のイノベーションがこれからたくさん出てくるでしょう。
つまり、オフショアリングの為の技術と、その技術を活用する為の経営手法やマネジメント技術が進化しているのではないかということです。その進化の結果として、上記の事例のように「運用はインド、管理はアメリカ」というソリューションが一番優れたやり方になりつつあるのだろうと考えています。
My Job Went To India オフショア時代のソフトウェア開発者サバイバルガイド
この本の中には、著者がインドでインド人の技術者と一緒に働いた体験談がたくさんありますが、そこに書かれている苦労話は見方を変えれば、インド人と一緒に仕事をする為のノウハウ集です。
文化的な習慣の違いや地理的な距離をどう克服するかというようなおおげさな話ではなくて、ネット上のツールの活用を基盤とした、Lifehacks系、Tips系とでも呼ぶべき細かいノウハウが、膨大にアメリカに蓄積されつつあるような気がします。
具体的な兆候として見えたのは上記の記事だけなのですが、こういう仮定のもとで、私は「シリコンバレーの労賃はインドなみになる」と考えています。世界の他の地域は、世界最高水準の頭脳労働と先進国水準を逸脱した「労賃」の組合せに対して、価格競争力を持たなくてはいけないと思っています。
それで、こういう主張をすると、「国際分業が可能なのは、ITなどごく一部の産業だけである。○○の分野ではあてはまらない」と「分業によって品質が落ちるので、価格競争力は保たれる」という反論があると思います。これには先に答えておきます。
前者は、「ある特定の分野での分業を可能にする方法を具体的に示さない限り、それを前提とした議論は受け入れない」ということだと思います。
私は、個人のサバイバルを考える場合も社会を全体として批評する場合も一定のイノベーションをあらかじめ前提にすべき領域があると思います。イノベーションを前提にするとは、「まだ具体的なやり方は自分には思いつかないけど、シリコンバレーの頭のいい奴が何かしでかすだろうな」と考えることです。
社会の仕組みは流動的であり、ネットがそれを加速しています。また、シリコンバレーを代表とするアメリカの社会は、それに経済的な裏付けを与えています。そして、「シリコンバレーの頭のいい奴」の供給元は急速に途上国に拡大しています。「頭のいい奴は大半が無欲である」ということを仮定しない限り、IT技術+非IT技術のイノベーションをあるレベルで前提とした方が現実的な議論になると私は考えます。
後者の反論に対しては、イノベーションのジレンマという経験則で答えます。
確かに、従来の違う方法で分業を可能としても、最初はローエンドをサポートするのがやっとでしょう。しかし、ローエンドでも一旦市場に参入してしまえば、あとは経験の蓄積でどんどん品質を上げていき、やがてハイエンドを飲み込むというのが歴史が教える所です。
「リスクを負担しない労働」の価値が低いのは当たり前です。それを問題視するつもりは毛頭ありません。雇用は報酬が安い代わりにリスクが低い労働を提供する形態です。
冒頭に引用した議論の中で、id:dekainoさんはこうおっしゃっているのですが、私は「リスクの低い労働」の価値が、到底先進国に住む人間には許容できないほど低下する、つまり「雇用」という労働の形態はほとんど消滅すると思っています。だから、これは重要な社会問題になるし、対策が必要になると考えています。
だから、個人のサバイバルとしては、労働者はリスクを避けるべきではないと考えますが、社会批評として考える時には、このショックをやわらげるために市場メカニズムを抑制するような何らかの政策が必要だと思っています。
id:dekainoさんは、社会批評の文脈で「労働者がリスクを過剰に負わされている」という問題意識で論じているように思われたのですが、同時に、市場メカニズムによってこの問題は解決できると主張しているように思えて、そこだけが私には理解できませんでした。おそらく、ここに書いたような前提がどこか違っているからではないかと思います。