Flickrが公共Nシステムになる日
Flickrというサイトには、一般人が撮った写真が大量にアップロードされている。
現在は、この手のサイトはユーザが付加したタグによってしか写真を検索できないが、もうすぐ写真の中に含まれる文字を自動的に認識して、その文字列で検索できるようになるだろう。自動顔認識で一時話題になったRiyaというベンチャー企業は、既にそれを可能にしているようだ。
さらに、このソフトウェアは画像の中にあるテキストも探すため、たとえば「フロリダへようこそ」という看板の横に立つ人物の写真は、「フロリダ」というキーワードで見つけ出せるという。
Riyaの顔認識はやや話題先行気味で、実用的なサービスとしてはまだブレークしてないようだ。実用化にあたって何らかの困難が発生した可能性もあるが、顔認識がデモ程度でも行えるなら、文字認識の実用化は時間の問題だと見てもいいと思う。
そうなった時には、これらの写真に写っている大量のナンバープレートの情報を検索できるようになる。スナップ写真には意図的に撮ったものとそうでなく偶然撮られたものと、両方ともたくさんの自動車が写っているはずだ。そして、それらの写真の大半は、撮影場所と撮影時刻がわかる。ある車がいついつどこそこにいたということが、簡単に検索できるようになる。
つまり、公共のNシステムのサービスインが近づいているということだ。
Googleイメージサーチのようなイメージ検索にも、同様の文字認識の機能が実装されるだろう。そうなった場合、特定の有名サイトだけでなく、一般ブロガーが日常的に撮ってブログにアップロードした写真等も検索対象になるだろう。
この事件で、当て逃げ加害者のmixi日記が2ちゃんねらによってつきとめられたが、こういうことが、普通に検索するだけでできるようになるのだ。この場合は、加害者自身がmixiに自分の車が写った写真をアップロードしていたことが決め手になったが、公共Nシステムがあれば、本人が一切ネットをしてなくても、偶然写った写真で動向がわかってしまう可能性がある。
現状では、特定されるケースの方は稀かもしれないが、Google Street Viewのようなサービスやwebカムはさらに一般的になり拡大する。携帯のカメラをライフログ的に使用する人も増えている。時間がたてば文字認識の精度も向上して小さな映像からも認識できるようになり、網羅率は加速度的に向上していくだろう。
これを社会として受容すべきか否かについては、bewaadさんの次のエントリの論点に通じる議論が起こるだろう。
しかし、以上の文脈においては、政府は大いにGoogle(やその競合相手)の活動を歓迎し、事と次第によっては支援すらするでしょう。他方で、Googleという免責カメラを政府に持たせることに反対する側は、たとえば肖像権の強化を通じたそのような企業の活動の規制・制約を求めていくこととなります‐すなわち、現在の一般論はコペルニクス的転回を遂げるのです。
ただ、私としては、政府から見た場合、Nシステムが議会審議無しで安くできるメリットより、情報を独占的にコントロールできないデメリットの方が気になると思う。特に政府要人の動向が公共Nシステムによって一般人に把握されてしまうのは、かなりマズイことだと考える人の方が多いのではないだろうか。
いずれにせよ非常によじれた議論になる可能性は高いと思う。
こういう問題について、私は一般論として次のように考える。
- こういう流れは経済的な価値につながっているので、人為的に止めることはかなり難しい
- 「写真集積サイト」と「写真からの自動文字認識」という二つの技術をマッシュアップすることで、「権力」というどちらにも無い属性が創発する。こういうことは、この組合せだけでなく、さまざまなサービスと技術の組合せでこれから無数に起こると考えるべき
- どの組合せに「権力」が発生するかは予測できない。したがってどこに「権力」が発生するかも予測できず、コントロールもできない
- 「公的」という言葉の意味から、あいまいさが剥ぎ取られていく。つまり、「公的」なものは、全世界で共有され検索され分析されることが不可避になる
「創発的権力」という言葉を造語した時には、こういうサービスのことは想定していなかったが、特性としては通じるものがあるような気がする。「コペルニクス的転回」には全く同感で、権力というもののあり方に何か根本的な変化が起きているのではないだろうか。「当て逃げ」の話も、法的システムを回避して制裁を加えたという意味では私刑なのだが、従来の枠組みの私刑としては論じられない部分があると思う。何か新しい議論の枠組が必要になりつつあるのではないだろうか。