朝日への取材拒否はやりすぎ、謀略機関認定を先にするのが筋

自民役員:朝日の取材拒否 会見以外、自粛を要請というニュースですが、政権与党が報道機関に取材拒否で圧力をかけるのは、いかなる理由であれ許されないと思います。

ただ、以下の指摘はうなずけます。


通知書は、月刊現代が松尾武元NHK放送総局長、中川昭一経済産業相安倍晋三自民党幹事長代理と朝日記者との「証言記録」を入手したとしていることについて、朝日記者が深く関与していたことが濃厚と指摘した。そのうえで(1)取材記者は松尾氏をだまし、無断で記録し続けているようだが、無断記録で入手した取材資料を基にした新聞記事の作成は、報道機関としての存在価値も揺るがしねない(2)先月29日に朝日が社内資料の流出の可能性を発表した会見では、謝罪もなく、逆に発行元の講談社から記事コピー配布の承諾を得るなど良好な関係が見て取れ、取材資料があることを強調したかっただけの「やらせ」であり、朝日自体が流出に関与している疑念を感じる−−などと厳しく批判している。

それではどうしたらよいか?

私が言いたいのは、報道機関に取材拒否で圧力をかけるのはいけないということです。どのような無茶苦茶な報道であれ、政治家は言論で対抗すべきです。そして、報道機関も言論には論戦でのぞむべきです。報道機関に言論以外のかたちで圧力をかけてそれを正当化するというのは問題です。これが前例となって、今後、都合の悪い報道を言論以外で圧殺する動きが出てきたりしないか心配です。

しかし、今回の場合、言論に言論で対抗しないのは、朝日新聞の方です。朝日は、自民党NHKからの疑問にきちんと回答していません。それで、このような情報流出を装うという禁じ手を使って、印象操作で世論をコントロールしようとしている。

そもそも、朝日が建前通り、NHKに対する政治的圧力のことを問題としているならば、こんな手は使うべきではありません。具体的な嫌疑のない安倍氏でなく、自民党の他の政治家から実証的に一歩づつ攻めていくべきでしょう。印象操作、個人攻撃で安倍氏の評判を落とすことで、NHK問題がどのように進展するというのでしょうか。

言論とは、常に反論可能であるべきです。流出した怪文書の類は言論ではなくて、そういうものに頼って世論を動かそうとする機関は、報道機関というより謀略機関でしょう。

ですから、自民党はどうすべきであったのか?

まず、「朝日新聞は報道機関でない」という認定を先にすべきであったと思います。その上で取材拒否に出るのであれば、報道機関に対する圧力ではありません。それは詭弁であるとの批判も出ると思いますが、それに対して、「自民党がいかなる基準で報道機関を認定するのか」を明文化すればいいわけです。

あるルールを決めて、それを守っている限りは、報道機関として言論の自由を尊重した対応を取る、そうでなければ、謀略機関として防諜の論理で対応する。

もちろん、そのルールが恣意的であってはいけません。報道について、それなりに伝統のある組織に、報道とはどういうものか意見を請うのがよいでしょう。たとえば、これとか。

  • 一、不偏不党の地に立って言論の自由を貫き、民主国家の完成と世界平和の確立に寄与す。
  • 一、正義人道に基いて国民の幸福に献身し、一切の不法と暴力を排して腐敗と闘う。
  • 一、真実を公正敏速に報道し、評論は進歩的精神を持してその中正を期す。
  • 一、常に寛容の心を忘れず、品位と責任を重んじ、清新にして重厚の風をたっとぶ。

自民党がこの判断基準で、朝日を裁けばよいと思います。具体的な根拠をつけて、「朝日新聞はこの基準に即した行動を取れないから報道機関とはみなさない」と発表し、言論としての対応はそこで終わるわけです。

その認定までは言論ですから、きちんと反論を受けるべき。朝日新聞が「品位と責任を重んじ」ているかどうかについて、しっかり論議してほしい。しかし、それ以降は、言論ではないので、違う基準で対応すべきです。自民党は、この手順を間違えていると思います。今回の対応については私は認めることはできません。