波動関数的な欲望
りとる・ろまんすさんに『ネットにおける儀礼的無関心問題』の技術的問題がコレクトされています。麻弥さんの提案された友達の友達は友達方式は名案だと思いました。他にも次のような提案があります。
どれも、現実的な割にはやってみたら非常に面白いことが起きそうな魅力的な提案だと思います。
この問題は、論理的につきつめると無理のあるニーズだと思いますが、無理を言うのは技術の進歩にとっては悪いことではありません。むしろ、錬金術とか永久運動のように、最終的には「原理的に無理」と確定したニーズが、結論に至るまでの過程でいろいろな技術を産み出しています。人工知能の探究がLispやsmalltalkのような画期的なプログラミング言語につながったことや、この「儀礼的無関心」の問題も、やがてこの系譜に入れられることになるかもしれません。
「見せたい」と「見せたくない」という矛盾する二つの状態が同時に両立する、という問題も現代物理学に似たような問題があって、シュレーディンガーの猫と言います。これは、空想の話ではなくて、まさにこの世界の話、この物質の話です。この猫は、生きてると同時に死んでいる、両方の可能性がこの世に同時に存在しています。我々は目が悪いんでこういう猫を実際に見ることはできませんが、もうちょっと目がよくて素粒子くらいの小さいものもよく見えたとしたら、こういうリアリティを実際にこの目で見ることになるのです。
シュレーディンガーがそういうことを言っても信じない人がいて、サイクロトロンという直径何キロメートルもあるでかいメガネを使って見てきたそうですが、物質というものは矛盾する複数の状態が重ねあわされて存在していて、「観測」するとそのうちのひとつに心を決めるわけです。リンクされないサイトも「見せたい」と「見せたくない」が両方重なった波動関数的な欲望の元に存在していて、ヲチスレからのリンク等の「観測」という事象によって、その欲望の形が決定されるわけです。その結果、一定の確率でサイトが閉鎖されます。
欲望というのはそもそも波動関数的なものなんです。しかし、現代のデジタルコンピュータは古典力学的に動作します。波動関数的な欲望を「観測」して、古典力学的な確定した仕様に落とすのがプログラマーの仕事です。そう考えると、これはそんなに特別なことではないんですね。しいて言うと、欲望が「観測」を嫌って「観測」から逃げ回っているように見える所が、不思議と言えばちょと不思議。