ネットが民主制度の本質的限界を露呈させる

昨日の記事について、svnseedsさんからアローの一般不可能性定理そのままのような気がすると言われて「ええっ!?あの変な数式(は一応見たことあったんですがチンプンカンプンでした(笑))はそういう意味だったの?」と驚いて、少し検索してみたら、趣味の経済学 民主制度の限界に直感的な説明がありました。

うん、確かに私の言いたいことはこれかもしれない。

これは、民主主義そのものが内在的に持つ限界だったんですね。これまでは、民主主義というものは近似的にしか実現されてなかった。価値観ランキングの多様性が抑圧されて、少数の基準となるランキングの体系に無理にまとめられて、「平等な一票」も内実が伴なわないものだった。だから、その限界が見えてなかったわけです。

ネットによって、多様性が表面にあらわれて誰でも平等に声を出すことができるようになった。その為に、従来、理論的、抽象的な数理的モデルの問題で、現実世界とは関係ないように見えた、この「アローの一般不可能性定理」が具体的な課題になってしまったのではないでしょうか。ちょうど、普通の生活では無視できるはずの、ニュートン力学相対性理論の違いが、光速度に近づくと目に見える問題となることに似てるような気もします。

しかし、そうだとしたら、「クリアな意思決定システムによってコンセンサスを取る」という私の提案では、この問題は解決できないということになるのかなあ?実体としては同じことなんだけど、サービス提供者という側面を強調することが必要かもしれない。

  • オープンソース政党」は、ポイント評価というシステムで二種類の顧客に対してサービスを提供する
  • 党員に対しては、「意見を集約して議員に伝える」というサービス
  • 議員に対しては、「世論の動向に定量的、定性的な分析を加えたレポートの継続的提供」というサービス
  • それで、両者に対して、現在、ブログや2ちゃんねると同様に「議論の場を提供する」というサービス

「議論の場」については、匿名で発言する開かれた場は現在いくらでも存在するので、同じようなものをあえて提供する必要はなくて、「党員のみ」とか「議員、役員のみ」とかのクローズなものを提供して、それがポイント評価につながっていればいいと思う。

ネットの意見を背景にした政治勢力は、「政党としての意思、方針等を一本化する」という方向で考えると、どのような投票、ポイントのシステムを用いても、「アローの一般不可能性定理」が具体的な問題となって顕在化して、立往生になる。「多様な顧客への多様なサービス提供」という発想でコンセンサスをとらなくてはならない。

関連URLメモ。(数土直紀『理解できない他者と理解されない自己』という本が面白そう)