「マスター」の思い出

ビルの3Fにあるその店には、入口のすぐ脇に道行く人を見おろせる席があった。いつも彼はすみっこのその席にすわって、じっと通りすぎる人たちを見ていた。彼は、いかにも喫茶店のマスターらしい喫茶店のマスターで、スタイリッシュだが目立たない人だった。カウンターに立つ姿は結構サマになったと思うのだが、僕は彼がカウンターに立つ姿をほとんど見た覚えがない。僕の記憶の中では、彼はいつも定位置のその席に座って、遠くを見ている。

僕に気がつくと、彼は「おっ、今日はどうした」などと言って歓迎してくれた。カウンターには、店の外でも彼のことを「マスター」と呼ぶ彼の妻がいて、この人を中心に談笑が広がる。その店は、身内や常連にとって居心地のいい場所だったが、商談をしたり暇な時間に本を読みに来る人もたくさんいた。誰にとってもすごしやすい場所であったような気がする。癖のない、いかにもそれっぽい内装で、汎用的で模範的で典型的な喫茶店だった。喫茶店のマスターらしいマスターがいる、喫茶店らしい喫茶店だった。

僕はカウンターにすわりコーヒーを飲み、どうでもいい世間話をして、これもまたいかにも「軽食」という感じのエビピラフを食べた。気がつくと、たいてい彼はいつの間にか定位置に戻り、ひとりでじっと外を見ている。

彼の家族は、彼についてのコメントを求められて、「決して勤勉とは言えない人だった」と答えた。そのコメントから、彼は「夢を観る人」という意味の戒名をつけられた。彼の家族は、複雑な表情をしていた。その戒名は彼にふさわしいようでもあり、ちょっとズレているようでもある。僕もそのコメントには同意するが、その戒名には少しだけ異論がある。

まず、彼は彼の兄弟の中で、最も生涯の収支の計算がきちんとあった人だった。店をたたんでからも、バブルに踊らされない着実で安定した人生を歩んだ。それに、彼が定位置からいつも見ていたものは「夢」というようなものではなかった。もっとニュートラルな何かだった。長い間、ニュートラルな何かを彼は見続けていた。

彼が一度だけ、彼の兄についてコメントしたことがある。それはニュートラルなコメントだったが、ある種の感情がこもっていた。その感情は僕がずっと父に対して持っていた感情だ。僕は、その感情をうまく言葉にすることができず、誰かと共有することもできず、生まれてからずっとその感情を持てあましていた。その感情の行き場がないことで、僕は罪悪感に似たような苦しみをかかえていたのだが、彼の短いコメントが、少しだけそれを緩めてくれた。僕が父の中に見ていたものは、父が決して他の人に見せなかったもので、それを他人と共有できないことに僕はずっと苦しんでいたのだけど、同じように自分もそれをしょっていることを、叔父は教えてくれた。

ニュートラルな何かを見続けて、彼は回りの人間にとって、いろんな意味で納得のいく人生を歩んだ。彼が去ってはじめて、僕はそのようなニュートラルなブレの少ない人生が希有で貴重なものであることを実感した。今はもう存在しないその店の中での、あまり勤勉とはいえないマスターとしての彼の存在の意味を少しだけ理解した。