「藪の中」を生きる技術

坂村健さんはかなりご立腹のようですが、私はこれを見て、斎藤環さんが心理学化する社会で、「精神科医メディアリテラシーを高める必要性」を主張しているのを思い出しました。

例えば、「猟奇的な犯罪について精神科医が新聞にコメントを発表すること」は、彼にとって専門分野の中での活動でしょうか?そうではない、これはマスコミ(メディア)の素人が記者という専門家に踊らされていることだ、という視点が必要だと、斎藤さんは言っているのだと思います。つまり、新聞にコメントする人は、そのコメントに記者が何を期待していて、何をしゃべったらどう歪曲され何がどう切り落とされるか、それをよく理解した話すことが必要だ、最終的に紙面にのる自分のコメントとそれが読者に与える影響を計算して発言すべきだ、言わば「コメントする技術」の向上を訴えているような気がします。斎藤さん自身、意識的に極論を述べたり自分の真意が伝わらないことを予想した上であえてコメントしたりしているようです。坂村さんには、こういう技術が必要なのではないでしょうか?

人々は真実より物語を求めてしまうもので、週間ダイアモンドが発言を歪曲してしまうのは、「日本(の独自技術)が(また)黒船によって負かされる」という物語の中に、坂村さんをはめこみたいという無意識的な欲求があるのだと思います。マスコミが話を歪曲するのは、彼らが馬鹿な素人なのではなくて、そういう読者の無意識的な要求を吸い上げて形にすることに熟達したプロだからです。無邪気な素人がそれに踊らされ料理されてしまうのは、当然のことです。

また、自省を含めて思うのですが、オープンソースに関わる人たちもあまりにも性急に「奴は裏切者なのか?」という問いを発し、YESかNOかハッキリさせようとしているのかもしれません。私は、ご冗談でしょう、坂村健さんをかなり共感しつつ読んだのですが、今、その共感の中身をふりかえってつつ再読すると「ユートピアを目指し苦闘する我々に対する数多くの陰謀と裏切り」という物語に、この事件をあてはめることの快感を感じます。

それで我々はどうすべきか?もちろん、マスコミ報道の過剰な「物語性」を拒否し、「真実」を求める姿勢は重要です。実際、今回の件でもいくつかのブログを見た印象では「坂村氏は実際には何と言ったのか」という疑問が、物語への埋没に勝っていたように思います。その点では、そういう自省する意識がみじんも感じられない大手マスコミとその消費者と、いわゆるオープンソース陣営には、かなりの違いを感じます。私が基本的に後者の方を信頼するのはその違いからです。

ただ、同時に「人は物語を通してしか事実を把握できない」という人間の限界も見すえる必要があるのではないか?と思います。


人間の『こころ』と『言動』のあいだには、常に隠喩的な隔たりがある

斎藤さんは、生きのべるためのラカンという記事の中で、精神分析の思想をそう要約しています。

彼はコメントする精神科医にはリテラシーの向上を求めますが、コメントを歪曲するマスコミの方は非難しません。それを是正しようとしないで、放任しているように見えます。それは、マスコミと精神科医とどちらが啓蒙しやすいかという、単なる有効性を考えての選択なのかもしれませんが、私は重要な意味のある意図的な判断だと思います。斎藤さんは、物語を取りのぞいた「真実」を報道することはできない、原理的に不可能だと考えている、そして、その発想にはラカン派の精神分析という、彼の思想的な原点がいくらかは関わっているように私には思えます。

「坂村氏が何と言ったのか」は確認できるし、ある程度正確な要約と報道は可能ですが、「坂村氏が何を考えているのか」は直接知ることは難しい。彼のメインの仕事はAPIではなくてアーキテクチャです。「ユビキタス・コンピューティング」という壮大な物語です。RMSやリナースもそうですが、世界に大きな影響を与える仕事をする人は、単なるAPIやコードでなく、物語を提供します。彼らを支持し集まる人たちは、物語に共感して集まっています。

その物語のレベルは「報道」できるものではありません。客観的に優劣や適用範囲を測定できるものではありません。ただ、我々は自分の物語と彼らの物語を共振させることができるだけです。どの物語に自分が巻きこまれ、埋めこまれていくかを選択できるだけです。

坂村氏に「TRONオープンソースの敵か味方か」と聞くのは無駄です。例えば「GPLでリリースされるITRONの実装はありますか?」という具体的なことなら聞けますが、その背後にある方針や思想を尋ねようとしたら、必ず物語のレベルに入りこんだ質問にならざるを得ない。彼は、TRONという物語の中の脇役としてのオープンソースについては語るでしょうが、オープンソースという物語の中の登場人物としての自分を語ることはあり得ません。具体的な質問でなく一般論的な質問をしたら、かならずそういう欲求不満が残ると思います。坂村さんがオープンソースについてどう思っているのかは、最終的に「藪の中」になるでしょう。

物語のレベルでは真実は常に「藪の中」です。我々はそういう「藪の中」が表層に露出した時代、「心理学化する社会」に生きているのです。ある種のWEBビジネスにとっては「TRONオープンソースの敵か味方か」という問いが、金を儲ける為に答えを出す必要のある具体的な質問になるかもしれません。しかし、その答えは客観的な真実の中にはなくて、TRONオープンソースを巻きこんだ別の物語の中にしかありません。

これからのビジネスには、物語を意識的に選択し、場合によっては自分で作ることが必要なのだと思います。その前提として、真実を原理的に知り得ない「藪の中」で生きる技術が必要とされているような気がします。