No Music No Life あるいは定額生き放題サービスとしてのベーシックインカム

音楽が好きで好きで、音楽が無いと生きていけないような人にとっては、定額制サブスクリプションサービスはとてもありがたいものだと思います。月に何枚も、場合によっては何十枚もCDを買っていたのが、月980円ですむわけですから。

でも、そういう人がこれで浮いたお金を何に使うのか想像してみると、やはり、同じくらいのお金をライブに使うのではないでしょうか。

そういう人にとっては、定額制サービスは「おお、これで月980円ですむぞ!」というものではなく、「おお、これで今まで行きたくても行けなかったあのライブとあのライブにも余裕で行けるぞ!」ということでしょう。

もし、音楽市場の主流がそういう人だったら、その人の支出は変わらないので、音楽産業全体の総収入も変わりません。音楽産業が消えるわけではなくて、今までのCD製造販売からライブイベント屋さんに形態が変わるだけ。

あるいは、その人は、NetflixかHuluにも加入して、今まで映画に回していたお金もライブに使うかもしれません。ライブにたくさん行くようになって、ライブの面白さを感じることで、他の趣味のお金を定額制で節約して、その分をライブに使うとしたら、音楽産業の収入は増えます。

いろんな「定額制○○放題」サービスが生まれていますが、これらが充実していくと、今まで我慢してたプレミアムなものに趣味のお金を使おうという人が増えてくるでしょう。

残念ながら、ほとんどのコンテンツは、そういう濃い人よりは、広く薄く売るビジネスモデルになっているので、壊滅的な打撃を受ける所の方が多いでしょう。でも、プレミアム系の「濃い」製品やサービスをやってた所にとっては、チャンスなのではないか。

ベーシックインカムに対して、「そんなことをしたら誰も働く人がいなくなって、誰も税金を収めなくなって破綻する」という批判がありますが、「定額制生き放題」と考えればわかりやすいと思います。

ライブのイベント屋さんが儲かって、その利益の中で、定額制聞き放題を運用できれば、ギリギリ持続可能なシステムになるわけです。

定額制聞き放題なんて、ライセンスのことを考えなければ、ほぼクラウドのサーバ代だけで運用できますので、今後、相当長期的に経費は安くなり続けます。今の時点でギリギリ成立するものなら、長期的にはむしろ利益が出る。なんであれ「定額」って事務処理が簡単、あるいは不要で、スケーラブルなので、楽なんです。

ただ、これは、「おお、これで今まで行きたくても行けなかったあのライブとあのライブにも余裕で行けるぞ!」が実現した未来から逆算で試算しないと成立しない計算です。今の時点では、彼はCDを買わざるを得ないので、ライブに行く金はない。ライブの売上はまだ低いままです。

「定額制生き放題」サービスに強制加入させられたとしても、多くの人は、自分にとってのプレミアムなものを求め、そのために働き続けると私は思います。それによって成長する産業があるので、そこから税金を取って原資とすることはできます。

ただ、その「プレミアム」っていうのは、なかなか想像するのが難しい。貧乏な音楽ファンの彼に「どのライブに行きたい?」って聞いても、彼は、CDを買うことだけを考えているので、ライブのことをよく知らないんです。定額制によってCDを買う必要がなくなってからはじめて、「どのライブに行こうかな」と考え、情報を集めはじめる。あるいは、いくつかのライブに試しに行ってみて「ライブってこんなに凄いのか!」と気づく。それまでは彼にとってプレミアムなサービスは存在しないも同然で、従ってその市場も存在していません。

で、私は、最近、ベーシックインカムは、国民の合意を経て政策として実施されるのではなく、こういう「定額制○○放題」が各方面に広まることで、なし崩し的に、しかし強制的に、移行していくものではないか、という気がしています。

つまり、クラウドディープラーニングによって人件費が削減されることで、多くの産業が「定額制○○放題」+「プレミアム」という形態への変革を余儀なくされる。その結果、「プレミアム」型の企業が主体となって、半公共的な「定額制○○放題」が増える。最後に、個別の産業ごとの「定額制○○放題」を整理するかたちで、ベーシックインカムに行き着く、というようなストーリーです。

つまり、ベーシックインカムは「みんなに月何万円支給」という形態ではなくて、「月980円で生き放題」という有償のサービスになるのではないかということです。ただ、その月980円は自分で稼げ!ということ。

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