小泉さんは泡沫候補だったのをみんな忘れてしまったのか?

今では竹下登というより Daigo のお爺さんと言った方が通りがいいのかもしれないが、あの人の権勢は凄いものだった。竹下さんが凄いというより、経世会という組織が日本の権力中枢そのもので、それだけに内部の権力争いはすさまじいものがあったが、それが日本の政治そのものだった。

経世会田中派からクーデターを起こして独立した派閥だが、その政治手法は長年、自民党政治を支配した田中角栄のものそのもので、

大平、鈴木善幸中曽根康弘政権樹立の大きな原動力となり、総理・総裁を目指すには、田中派の協力なしでは不可能と言われていた。

という状況が、そのまま経世会に引きつがれ、2001年の小泉さんの総裁就任まで続いていた。田中角栄の総理就任(1972年)から数えると、30年近く日本を支配してきた権力構造そのものの中枢にいたわけです、Daigo のお爺さんは。

Wikipediaのこの項目に、その経世会内部の権力闘争の経過がよくまとめられているが、見方によっては、細川連立政権七奉行筆頭の小沢さんが作った政権であって、経世会は30年間継続して権力を保ち続け、誰が総理大臣になるかの決定権を持ち続けたとも言える。その観点に立てば、自民党の下野は単なる経世会内部の内輪揉めに過ぎない。

福田政権と麻生政権の誕生時には、「小泉さんが誰を支持するか」「小泉さんがどう出るか」ということが注目されていたけど、あれは「影響力」。田中角栄経世会の権力というのは「影響力」というより「決定権」だった。田中派竹下派の支持を得るということが、総理になるということだった。

そういう時代に、小泉さんが総理になるなんてことはあり得ないことだった。

1995年の最初の総裁選では、

すでに大勢が決していた上に、郵政民営化を主張する小泉は党内で反発を買っており、出馬に必要な推薦人30人を集めることができたことがニュースになる有り様だった。

という状況で、次の1998年の総裁選でも

無投票を阻止したい若手議員たちは小泉に出馬を要請するが、小泉は勝ち目がないとして渋った。しかし、平成研究会が分裂し梶山静六が出馬したことなどから、若手の説得により出馬を表明した。しかし、結果は盟友の山崎・加藤の支持も取り付けられず、自身の清和会すらも固めることはできず最下位に終わり、大方の予想通り小渕が総裁に選出された。

という惨敗。

当時、多少でも新聞の政治面を読んでいる人間だったら、将来この人が総理になるなんて絶対に信じなかったと思う。それは、今、タイゾー君が総理になるくらいあり得ない話に思えただろう。

郵政民営化」とは地方の名士である特定郵便局長を排除することで、それは、自民党=田中派経世会の政治手法の完全否定である。そんなことを言う人が総理になるなんていう奴がいたら、「おまえ新聞くらいちゃんと読めよ」と言っただろう。もちろん、それを批判する人はいたと思うけど、それが日本のリアルであり、日本の政治というのはそういうことを抜きで成立するものではないと、ちゃんとした大人なら誰でもわかっていた。

私も「いったいこの人は何がしたくて総裁選に立候補したのだろう」と思っていた。売名行為なのだろうと思ったが、郵政民営化をとなえ経世会と完全対立して、この先、政治家としてやっていけるのか心配したものだ。真面目にとらえなかったし深く考えたこともなかったが、深く考えたとしたら「改革を志すとしても、まず自分が権力の座につく為には、時に妥協し時に真意を隠し、経世会的なものとうまく渡りあっていくことを考えなくては駄目だ。理想を言うばかりでは、政治家として真剣にやってるとは思えない」くらいに評価したと思う。

日本の権力には裏と表があって、総理大臣とは別に裏で本当に物事を決定する人がいる。そして、裏の権力は「世間」というものと整合的でなくてはならない。日本全国津々浦々に巡らされた「世間」というネットワークの頂点に立つのが経世会であって、だから、経世会会長と言えども人事以外はそれほど独断が許されなかった。いや人事も政策も基本的には人間の形をした「世間」がうごめいているだけで、「世間」の総体が物事を決めていたのである。「世間」と擦り合せずに物事を決めると、選挙で選ばれた人が憲法に即した手順で進めても「独裁政治」と日本では呼ばれる。

「独裁政治」と呼ぶだけは気がすまずに、最初から偉い人だったかのような扱いをするのだけど、小泉さんは自民党の総裁選の歴史の中でも例の無い泡沫中の泡沫候補だったのであり、それを忘れては小泉政治の評価はできないと思う。

小泉さんは全く力の無い政治家だった。小泉さん一人では推薦人30人集めることがやっとであり、何一つ実現することができなかった。小泉さんが何かを成し遂げたと思うのは間違いだ。「世間」の代理人である経世会を破壊したのは小泉さんではない。

竹下派七奉行の時代が経世会のピークであり、小泉さんが登場する以前に経世会は下り坂だった。既に機能しなくなりボロボロになりつつあった経世会的なものを、きれいに壊したのは小泉さんかもしれないが、小泉さんがいなかったら、経世会がコントロールしてきた「裏」の権力の構造がそのまま無事に維持されたとは思えない。

たとえば「格差の拡大」と言うが、「世間」の承認する格差、「世間」と整合的な格差というのは厳然と昔からあったわけで、今広がっているのは「世間」の論理と整合的でない格差である。「世間」によって救うことのできない格差である。

小泉政治ではなくて、それが否定したことによって明確になった経世会の政治、「世間」をベースにした政治を総括すべきだと思う。「世間」のコンセンサスが得られない時に、物事をどう決定したら良いのか、その一つのやり方を鮮かに小泉さんは演出して見せた。小泉政治とはそれ以上でもそれ以下でもない。問うべきことは経世会が体現する政治のあり方の是非であり、やはり日本は何としてもそこに回帰するしかないのか、ということだ。

小泉さんという人はとてつもないことをしたと私は思うのだけど、過大評価されることで小泉さん個人が論点になってしまうと大事なことを見失ってしまう。泡沫候補だった小泉さんをしっかり記憶に残し、あの時点で、我々は経世会をどうしたかったのかをもっと考えた方がいいと思う。


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