決してフィルタリングできない子供の中の最強の異物

日経トレンディネットに注目すべき特集記事が上がっている。

しかしながら、こうした若者の携帯サイト利用におけるポジティブな側面が、正しい形でメディアに取り上げられる機会はほとんどなかった。そのため多くの「親」は、普段自らが触れることのない携帯サイトのネガティブな報道のみに触れ、不安を増長させているように感じてならない。

 本特集は、親世代の多くが普段触れることのない、携帯サイトにおける若者達の「日常の姿」を知ってもらうことを主旨とする。携帯サイトの悪い部分だけでなく、良い部分についてもよく理解し、フィルタリングをはじめとした「子供とケータイの付き合い方」について、改めて考えてもらうことができれば幸いだ。

まだ、途中までしか出てないが、携帯利用の「日常の姿」として、ポジティブなソーシャルサイトの事例がいくつかあって、大変興味深い記事だ。

この部分が携帯サイトの報道からスッポリ抜け落ちていて、一面的な姿しか伝えられていない、という著者の主張には私も賛成である。

私は、パソコンから使うネットの姿については最先端を追いかけている(と一応は自負している)者だが、携帯のリテラシーは標準以下である。おそらく同世代で比較しても平均以下だと思う。

しかし、ここで示されている「日常の姿」には納得がいく。人間がたくさん集まる以上、報道されている極端な事例が存在することも真実の一面ではあるだろう。しかし、それだけでたくさんの利用者が日常的に使うものになるわけがないと思う。

問題とすべきは、親がなんでここまで子供を信頼できなくなっているのか、ということだ。つまり、いかにマスメディアが偏向報道をしようが、不気味で無意味なサイトに何百万も利用者が集ると考え、自分の子供がその一員となることを恐れるとしたら、それは単に自分の子供が信頼できないということである。

そう思うことは理解できなくもない。

親にとって子供は、最強の異物である。たいていの場合、半分は自分と同じ遺伝子を持ち、自分が用意した環境で、自分によって育ったのに異物となるから、最強の異物なのである。違う文化から来た人は、どういうすれ違いやギャップがあってもまだあきらめがつく。違和感のもっていきようがある。

自分が育てた子供に対して感じた違和感には、責任をなすりつけられる相手がいない。

これは、太古の昔から繰り返されてきたことで、違うのは、スケープゴートが目の前にあるということだろう。

親子の相克は時代を問わない普遍的なものだが、そのことの原因としやすい現象があるか無いかは時代によって違う。現代は、親が自分の生活感覚に合わない事象に取り巻かれていて、そこに原因を持っていきやすい。

携帯サイトが極端で一面的な形で報道されるから子供が心配になるのではなくて、子供が心配であるがその根源的な原因に直面したくないから、そこから逃げる為に他の理由を探しているのだ。その罠にピッタリはまってしまったのが、携帯サイトでありインターネットでありゲームなのだろう。

いつの時代にも親にとって子供は不気味なものなのだが、現代の親は、携帯サイトのせいにすることで、それを自分の責任として引き受けなくてもすむようになっているということだと私は思う。

子供から携帯サイトを取り上げたら、親は自分自身の生身で、理解できない不気味な子供と直面することになる。子供の中の最強の異物としての違和感を、いかなるフィルタリングソフトもフィルタリングしてはくれない。

家族とは、相手の中に「最強の異物」を見ることができるほど近づくことを許容する間柄なのだ。他人は、それが見えるほど近くないので、仲良くし連帯しコミュニケートすることができる。家族とそうするのはずっと難しい。私は、他人を殺す人間は理解できないが、家族を殺す人間とはそれほど距離を感じない。

無菌で育てれば子供は健康に育つという考えも間違いだが、家庭の中が無菌であって世界をフィルタリングすれば子供が無菌で育つという考えの方がもっと間違っている。世界の毒から子供を守るものは家族で、家族の毒から子供を守るものは世界だ。子供が健やかに育つためにはどちらも必要だと思う。

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