なぜドーパミンが出ない所で仕事を探すんだろ?

ここで用意されているフィードを使うと、茂木さんの講演をiTunes+iPodで簡単に聴くことができます。更新して新規のものを追加することはしないそうですが、古いものだけでも膨大な量があります。

この中から適当にいくつか聞いている中にあった話で、ネタ元と正確な内容は忘れてしまいましたが、「数学の難問を考えている時に、数学者の脳からはドーパミンが出ている」というような話がありました。数学者は数学の問題を考えている時に、おいしい食事やSEXに匹敵する、あるいはそれ以上の快感を感じているということです。

数学者という種族は、人間としての理性を失なったら、食べるのも寝るのも忘れて、ずっと数学を考え続けてそのまま死んでしまうような人たちなんです。

プロのギタリストの練習量もハンパなものではないというような話(伝説?)もよく聞きます。比喩でなく、食べる時間と寝る時間以外は一日中ギターを弾いている時期が数年間はあるとか。

たぶん、曲を弾いてドーパミンが出るくらいではプロにはなれない、単調なスケール練習をしていてもドーパミンが出るくらいでないとだめなんでしょうね。

なんでも、チャーリー・パーカーというのもそういう人で、スケール練習があまりに気持ちがいいので、ある日、どうしても我慢できずにあろうことか客の前でスケール練習を始めてしまった。しかも、あわてすぎていっぺんに複数のスケールを吹こうとしたもので、混ざってあり得ないような不思議な音階ができてしまい、おまけに、快感のあまり息もたえだえで、変な所でスケールが切れたりした。終わってから楽屋でショボンとして「やっちまったよ。こりゃ大目玉だな。自分は気持ちよかったからまあいんだけど、今日限りでクビかな」と思っていたら、店主が飛びこんで来て「客が大喜びだ。あれをもう一回やってくれ」と言ったのが即興演奏の始まりでありモダンジャズの誕生なのです(ウソ)。

この動画のバックで流れている曲が、その記念すべき世界初の即興演奏の記録ですが(まだ言うか!)、私は、こういうヨタ話を思いついた時に、ドーパミンが出ているような気がします。

それはともかく、「一日中それをしてても苦痛にならない」というのは、才能というものの重要な要素だし、仕事の本質とつながる部分もあると思います。

地味で単調な仕事の中にも、ドーパミンが出る要素というのはあるでしょう。日本の高度成長期には、米や鉄や自動車を作ってて、おいしい米ができたり、自動車のラインの中で工程の無駄を省く小さな工夫をすることでドーパミンが出ていた人がたくさんいたのではないでしょうか。そこで放出されたドーパミンの総量をもし測定できたら、経済成長率とかなり相関するのではないかと思います。どんな仕事でも、なんらかの仕事を長期間続けている人は、その人が口でなんと言うかは別として、脳は仕事中に快楽物質を放出しているのだと思います。

何らかの困難があって、それを突破した時に、ドーパミンが特に大量に放出される、と茂木さんも言ってました。

それがドーパミンという一種類の物質であるというのがちょっと怪しい気はしますが、脳から特定の指令が出ないと、何かを集中して長時間、長期間続けることはできないというのは正しいと思います。そういう生物学的な限定というか本能に逆らって何事かを成し遂げることは困難です。

仕事で一定以上の成果を出す人は、仕事が「一日中それをしてても苦痛にならないこと」か、それに準ずることになっていると思います。そして、才能があると言われる人は、ピッタリ自分にとってジャストの「一日中それをしてても苦痛にならないこと」を見つけたか自分でそれを作り出した人。

そして、現在は、 「一日中それをしてても苦痛にならないこと」を見つける役割が、社会から個人に移管されつつある時期なのだと思います。

これまでは、社会が用意したエスカレーターに乗っているうちに、たいていの人が「一日中とは言わないが、半日くらいはそれをしてても苦痛にならないこと」をなんとなく見つけて、それを仕事にすることができました。今は、それを個人個人が自覚的に行なわなくてはならないのです。

ドーパミンが出るだけでは仕事にはなりません。金が出るものでないと仕事とは言えません。今までは、「とりあえず金が出るものにいくつか当たってみて、その中からドーパミンが出ることを選ぶ」という方法が効率的でした。これからは、「とりあえずドーパミンが出るものにいくつか当たってみて、その中から金が出ることを選ぶ」方が効率的です。あるいは、自分にとってドーパミンが出ることを無理矢理金にしてしまう方がいい。

どんな分野にも、世界中には一人くらいは「一日中それをしてても苦痛にならない」奴がいます。そういう奴と直接対決しなければいけないとしたら、よけいそうです。自分の方はドーパミン無しでそういう連中と勝負したいと望むのは、あまりにも無茶。むしろ、自分でジャンルを作ってしまう方が、そういうリスクを侵さなくていいだけ着実な道と言えるかもしれません。

現実的というのは現実的な着地点があることです。困難があっても不可能ではなくてドーパミン+金に通じている道が現実的な道。通過点が現実的でも、ドーパミンが出ないことを一生の仕事にしようとするのは、金にならないことを仕事にしようとするのと同じくらい非現実的ではないでしょうか。

社会がそれをサポートするようになってないということも問題なんですけどね。制度の問題もいろいろあるし、ドーパミン出してそうな人はむやみに敵視されるか、例外として別の枠に入れようとするんですよね。

参考→void GraphicWizardsLair( void ); // 「普段はサボって遊んでいるが、いざというときに凄い能力を発揮する天才」というステロタイプなイメージを持つ人は、単に天才が「遊んでいるように努力している」のが理解できないだけ