10000人乗りの自転車

iPod nanoの10Gのモデルが出たら、体積や重量はフロッピーディスクと大差ないものに、フロッピーの1万倍の容量が入るということだ。生活の中で、物事のスケールが一万倍も変化することはほとんど無いが、コンピュータの中では日常茶飯事である。CPU速度も回線容量もメモリ容量もみな10000倍かもっとそれ以上拡張している。

人類とその社会がそれにうまく適応できないのは、ある意味当然のことだ。

たとえば、お札の価値が一万倍になって、財布の中に数十億の金が入るようになってしまったら、スリや引ったくりの社会的な意味は質的に違ってくる。ウィニーによる流出騒ぎは、マクロに見れば、手軽に扱える情報の価値が、10000倍増大したことに、個人や社会が感覚的に対応できてないということだ。適応している人は、むしろ感覚を遮断して抽象的な思考だけで生活できる人で、そちらの方が普通ではないのかもしれない。

そして、IT業界は、このたとえ話で言えば、「一万人乗りの自転車が開発されてしまい、これからの電車はどうしたらいいのか考え中」という状況にある。

おおざっぱに言えば、「何人乗れようが、路線図や時刻表があって、各駅に駅員がいなければ、公共輸送には使えない。大量輸送はやはり電車」という選択をしたのが、レガシーシステム、汎用機の世界である。そして「確実性はなくても、使える所でその自転車を使って、少しづつ仕事にすればいい」という選択をしたのが、パソコンやウェブの世界である。

どちらも最初の時点では正しい判断なのだが、この棲み分けは長くは続かない。「一万人乗り自転車による公共輸送」が現実化する日が近づいている。そう感じさせる考えさせるエントリーがたくさん書かれているので、紹介していきたい。

我が国は通信業界・金融界の巨額投資が世界に類をみない交換機・汎用機3社を生き存えさせてきた訳だが,まず通信のIP化で交換機ビジネスが崩れて,次いで銀行大合併と2007年問題で汎用機ビジネスが崩れつつあるようにみえる.

この銀行大合併と郵政民営化によるレガシーシステム更新の波を乗り切っても仕事がなくなるし,乗り切れずデスマーチ化したら諦めてインドの金融パッケージでも買うしかないのだろう.N社がIPサービス参入時にC社のルータを買ったように,見切りは思いのほか早いかも知れない.

横並びの業界のことだから,大手のなかで1グループでもレガシーシステムからパッケージとオフショア開発に舵を切ったら,流れは大きく変わりそうな気がする.海外のERPも日本の業務プロセスに合わないとかいわれ続けた割に,今では多くの老舗企業に入り始めているし.

日本は、電車というレガシーシステムの仕組み、路線を固定して確実性を保証するスタイルに特に固執している。だから、「一万人乗りの自転車」の存在そのものを無視しているような一群の企業が生き残っているのだけど、それが急速に崩壊する兆候があるという話。

今まで企業の情報システム部やSIerなどで,サーバなどの運営,管理をしていたエンジニアはどうなるのか。 「機器があちら側に移るだけだから,あちら側で頑張ればいい」と言われるかもしれないが,それはそんなに簡単なことだろうか。 あちら側では,システムは超集中管理されるに違いないから,1つの企業に対して1人あるいはそれ以上の数のエンジニアが必要な今までと比べて,必要なヘッドカウントの数は圧倒的に縮小するのではないか。

コモディティ化が止まらないと題したのは,技術そのものというよりは,エンジニアのコモディティ化だ。 私が悩むのはマクロ,ミクロ両方だ。 マクロではIT業界の大リストラが始まるのではないかという懸念。 ミクロでは,そんな業界でどうやってキャリアを積むんでいくのかということだ。

「一万人乗り自転車による公共輸送」について具体的に考えていくと、それが大量の雇用を保証する産業として成立する可能性は少ないという話。

新旧双方から、エンジニアははじき出されていくのだろうか。

それから、ゲーム理論とソフト開発は、人為的な圧力無しで、業界全体が「一万人乗り自転車による公共輸送」に自然に移行していくのは難しいのではないかという分析として読める。

この二つは、ソフト開発者の役割を根本に立ち返って見直すことで、「一万人乗り自転車による公共輸送」への移行を具体的に考えているもののように思える。

「一万人乗り自転車」というアナロジーによる思考は、問題の巨大さ、現状の不条理さを表現する為には使えるが、このあたりになってくると破綻気味で、具体的なプランに落としていく段階では、梅田さんが言うようにうまく使えないようだ。

ただ、「一万人乗り自転車」を前にして、電車派と自転車派の分断は確かに起きていると思う。「一万人乗り自転車」が無ければ、両者は無関係で別々の業界なのだけど、「一万人乗り自転車」によって無理矢理に接続されようとしている。金融関係の汎用機ビジネスは、両者を分断する巨大な防波堤となっているように思う。この防波堤が崩壊するとしたら、そこに起こる激変は、今連発している個人情報流出騒ぎどころの話ではないかもしれない。