「履歴書空白=即足切り社会」におけるビジネスチャンス

あちこちで話題のこれですが、これ見て「これはビジネスチャンスだ!」と思った人はいないのかなあ?

だってこれは、「多くの企業で採用の基準として履歴書上の空白の有無が過度に重視されている」という話でしょ。

もちろん、それが企業にとって人材が有用かどうか計る基準として優れているから重視されているはずです。でも、優れているとしても万能ではないでしょう。有用な基準であるとしても、万能でないものを万能として扱えば、歪みが生じるのは必然。

ということは、もしこれが真実ならば「履歴書に空白があっても有用な人材」は、本来の市場価値より安く取引されているはず。

市場価値が歪んでいる所には、必ずその差額にビジネスチャンスがあるはず。

たとえば、「履歴書上の空白がある人材」のみを雇う人材派遣会社とか、「履歴書上の空白がある人材」の能力判定を行なう会社とか、「履歴書上の空白がある人材」を教育して身元保証を行なう会社とか。

もちろん、そういう事業の為には、「履歴書上の空白が無い人材」だけを受けいれる一般の企業とは別のノウハウが必要になります。そのノウハウがどんなものになるかはわかりません。ただ、「履歴書上の空白がある人材」を教育したり選別したり動機づけしたりするノウハウがあれば、これは相当金になることは間違いない。市場で労働力としての価値を認められてない所から、一定の有用な労働力を供給できるわけですから。

そういう会社がもしあるとしたら、「履歴書上の空白がある人材」から搾取しているという見方もできます。でも、あまりにもひどく搾取してボロ儲けした場合は、それをマネして、もうちょっとマシなお金を「履歴書上の空白がある人材」に払って同じことをする会社が出てくるでしょう。そういう会社があれば、搾取している所よりはマシな会社の方に流れるから、結局そういう会社たくさんできて競争することで、本来の市場価値に近い所まで「履歴書上の空白がある人材」の所得が上がっていくことになるはずです。

あのマンガ見て、瞬間的にここまで考えるのが常識だと思います。考えなかった人は、ビジネスのセンスが基本的に欠けてると思う。

もちろん、実際に、この分析が現実に対応しているかどうかは別の話。「履歴書空白の有無による給与格差」と「それを補うノウハウのコスト」の比率によっては、儲からない事業かもしれないし、そのノウハウを実現するには、何らかのイノベーションが必要かもしれない。

あるいは、「履歴書空白の有無によって人を差別しない」というのは、日本では宗教的なタブーなのかもしれない。宗教的なタブーを侵すような事業は、いくら利益が見込まれるものでも根本的に成立しません。そこが理論と実際の違う所。

「ビジネスチャンスだ!」と思って、即そこに飛びこむってのは、誰にでもできることじゃないし、それが能力だとしたら、そんな能力がある人はごく一部。

でも、「構造として市場価値からの乖離がある」ということと、「少なくともそこにはビジネスチャンスの芽がある」ってことは瞬間的に見抜けるし、ビジネスに携わる人間であれば、どういう仕事であっても、その発想ができないとダメだと思います。