アートにおけるファンダメンダルズとバブル
アーチストにお金を回す仕組みとしては、こんな提案もある。
- デジタル証券システムによるコンテンツ流通
- コンテンツ・デジタル証券による消費革命の提案(さしあたり一番まとまっている・・・・はず)
- アンカテ(Uncategorizable Blog) - デジタル証券システムによるコンテンツ流通
- アンカテ(Uncategorizable Blog) - 評論家格付けシステムとしてのデジタル証券
2番目のリンクは、ブログの調子がおかしいようで記事への直接リンクができないので、カテゴリーへのリンクになっているが、2番目の2004.08.24の記事として上記タイトルの記事があって、この記事に詳しく解説されている。
「証券」にすることで何が違うかと言うと、コンテンツに直接的な興味が無い人もお金を出すからだ。
会社経営に全く興味が無い人も企業の株式を買うのと同じだ。本来の配当益を目的として株式を買う人はむしろ少数派というか例外だろう。
そういう運用目的の人は、市場に入れたお金をどこかで引き出すから、純粋に会社が受け取る金が増えるわけではない。でも、そういう人がいないと市場がうまく回らないことも事実だ。
金融では「ファンダメンタルズ」という言葉があるが、この言葉はミクロでは企業の実質的な価値を指す。株価が下がると「ファンダメンタルズはしっかりしてますから近いうちに反発します」とかアナリストが言ったりするのはマクロな意味だが似たようなことだ。こんな言葉があるのは、ファンダメンタルズと関係無しに株価が動き市場でお金が回るからだ。
それが暴走したのがバブルであり、バブルによって市場が振り回され迷惑することもあるが、実はバブルが無ければ経済というのは円滑に回らない。バブルが問題視されるのは膨らみすぎたバブルで、適切なバブルはむしろ必要不可欠のものとされている。素人考えでは、バブルさえなければファンダメンタルズのみにきっちり従ってお金が動き、市場はもっとうまく行くと思うのだけど、どうもそうではないらしい。
ファンダメンタルズに直結したお金のみしか動かず、バブルが完全に消滅した状態を不況と言う。
不況を避ける為に無駄があってもいいから公共事業を行なえというのがケインズが主張したことで、これはなかなか受け入れられなかったし、私は今だにこの理屈がよく理解できてないが、今では常識となっているようだ。公共事業を削減しろとか適切に運用しろとか言う人はいっぱいいるが、ゼロにしろという人はいない。
当該コンテンツを直接的に評価する人以外は、誰も一文たりともお金を出さないという状況が、株式市場にもし発生したらそれは大恐慌である。大恐慌の中では、どんなにファンダメンタルズがしっかりしている企業でも倒産するし、才能にあふれたアーチストでも全く稼げない。
もし、将来、デジタル証券のようなものができて機能するようになって、そこから現在を振り返ったら、有史以来今までずっとが大恐慌の時代に見えるはずだ。大恐慌の中でわずかでも稼いでいる人は凄いと思うだろうし、大恐慌の中で失業したことをもって「才能がない」と判断することは近視眼であると思えるだろう。
私は現在の大恐慌の中で「アーチストが食えないってことは何かがおかしい、システムがおかしい」と言っているのだが、それは切実に現場で苦しんでいる人から見たら馬鹿にした発言のように思えるだろう。
でも、大恐慌の中で「企業が倒産するのは経営者や従業員の努力が足りないからだ」と言うのは間違っている。公共投資で人為的にバブルを発生させ、ファンダメンタルズと無関係のお金を呼びこむことが必要だ。それと似たようなことがコンテンツ市場にも必要であり、デジタル証券という提案はそれに近かったのではないかと思う。
それで、実は、このエントリは、お得意の妄想力を発揮して、デジタル証券の発案者でありWinny開発者でもある金子さんが逮捕されなかった別の日本の話として書こうとした。そのパラレルワールドでは、金子さんはWinnyの世界的大成功の後、デジタル証券を具体化しようとするが、さすがにこれは専門外なので苦戦する。そこに手をさしのべ、金融面のノウハウや資金面で支援したのがホリエモンである。二人の協力でデジタル証券市場は大成功するのだけど、それがいろいろな方面の不興を買い、いろいろあって結局は二人まとめて逮捕されてしまうことになってしまったので、その話はやめました。