グーグルが起こす第二の革命

このエントリに書かれている一流企業の実態は、細かいニュアンスも含めて私が見聞きしてきたことにとても近いと感じる。

私は幸いなことに「(本物の)一流企業の(本物の)一流社員」と仕事をする機会を頂いている。そういう方々は一流大企業の資本力、技術力などの各種のビジネスインフラと自分自身の知見、経験、スキルを卓越した思考力とハードワークによって組み合わせ、お客様、ひいては社会全体に高い価値を提供している。

バックオフィス部門の中には筋金入りのぶら下がり社員が多く、また性質が悪いことにそれを自覚していない人が多い。

大企業というのは一流の仕事をやり抜くためにはプラスアルファでタイヤを10個くらい引っ張って猛進する「泥臭い馬力」が求められるもの

私も多くの一流企業の一流社員と仕事をさせていただいた。そして、彼らが「タイヤを10個くらい引っ張り」ながら、素晴しい成果をあげているのを見てきた。

そういう人が特定のセクションに偏らないように、まんべんなく散りばめて配置し活用しているから、やはり大企業の組織力というかマネジメント力というものは大したものだなあと思っていた。肩書とか年次とか役職とか、そういうことと関係なく「あいつはできる」という情報が流通していて、その情報を元に数少ない貴重な戦力である彼らを適切に配置する人がどこかにいるということなのだろう。

そして、「彼らが10個のタイヤというハンデ無しで仕事をしたら凄いだろうな」と思っていたけど、それは単なる空想で、実際の世間というものはそういうふうにはできてなくて、そういうことをマジで考えるのは世間知らずのガキだと考えていた。個人が大きな仕事をする為には、組織というものが必要で、組織にはどうしても、id:ktdiskさんが「無自覚なぶら下がり社員」と呼ぶ垢が発生することが避けられない。だから、彼らが活用しているビジネスインフラと彼らが引っ張っているタイヤというものは不可分の関係にあり、片方だけの組織というものはあり得ないと思っていた。

グーグルを見るまでは。

以上,ざっと情報共有の媒体を見てきたが,これらの媒体で流れる情報はすべての開発関係者(2005年当時の社員数約4000名の半分である約2000名)全員にアクセス権限が与えられ,共有可能な状態に置かれている。(中略)例えば,あるエンジニアは私にこういった。「入社第1日目から今まで,上司から所属部門や業務内容を指定されるといったことは一度もないんです。すべて自分で決めています。配置転換という概念もありません。プロジェクトがいやになれば,いつでも辞めることが許されています。」

グーグルの独自性は二つあり、この二つを区別して考えることが重要なのだと思う。

  1. 社員の多くが世界レベルで一流の研究者に匹敵する専門技術を持っていること
  2. 上の連載記事で取りあげられているような情報共有のあり方

1の独自性は、ITやネットというグーグルがいる特定の事業分野でしか通用しない例外的なことである。だが、2はそうではない。

1だけに着目していたら、グーグルは特異な例であり、特殊な条件がないと成立しない例外であると考えてしまう。実際、ドクターやハッカーの数は限られているから、世界中がグーグルのような会社だけになることはあり得ない。また、いかに特定の一社が驚異的な労働生産性の高さや効率的なオペレーションをなしとげようとも、その一社が重要産業に屹立する大巨人であろうとも、その影響力が及ぶ範囲は、世界全体の中ではごく一部だ。

しかし、グーグルが起こした革命の中で、目立たないがより重要であるのは、2の部分ではないかと思う。1と2が同じ一つの企業の中で起こったことは、むしろ偶発的なことであり、1の効果によって2が見えにくくなっている。見えにくくなっている第二の革命は、これから世界全体に波及していくと私は考える。

要するに、役職と所属を無くして、ブログとWiki掲示板で会社を経営するのだ。

最終的にものごとを決定する権限を持つ人は残るけど、その人の仕事は、ブログとWiki掲示板からまとめサイトを作る人と同じようなものになる。

まず会議では「何が起きているの?」とみんなに尋ねて、それから「私はこう思うけど?」といって反論や意見をしばらく待つ。そうするとそのうちいろいろな意見が出てきて、結果的に参加している人みんなを巻き込んだ議論になればOK。その中には間違っていることもあれば、正しいこともある、そしてその過程で学ぶ。ひととおり意見が出てきて、話を聞き終えたら最後に「ほとんどの人が私を正しいと思うようだから、では私の意見の通りにしよう」あるいは「私が間違っているのか?」とみんなに聞いて、みんながそうです、と答えれば「ではみんなの言うとおりにしよう」というように決めていくそうです。

ここで出てくる意見は、役員会のメンバー個人個人の意見というより、ブログとWiki掲示板で社員から吸い上げた情報を集約したものだろう。グーグルの役員会とは、まとめサイトを作るためのoff会のようなものである。

企業という組織に何の意味があるかと言えば、会社の中で運営すればブログのコメントやWiki掲示板から「荒らし」を排除しやすいことだ。それはとても重要なことで、「荒らし」さえいなければ、ブログやWiki掲示板はとても効率的に機能する。それはとても重要なことだけど、企業という組織形態に何の意味があるかと言えば、それのみになる。企業とは、企業が内部に持つブログやWiki掲示板のことで、それらのサイトとその管理人とoff会こそが企業の実態になる。

グーグルは、そういう情報共有サイトという重要なインフラの、有力な供給者であると同時に世界最初の本格的な大規模ユーザである。そのインフラの供給者としてのグーグルは、優秀ではあるけど one of them だし他業種には関係ない。そのインフラを本気で使いこなしているヘビーユーザとしてのグーグルにこそ、注目すべきなのだと思う。

そのように企業を経営したら、「プラスアルファでタイヤを10個」が消滅する。それをグーグルは証明したのだ。

グーグルの戦略は柔軟で不定形だ。動画サイト等のメディア分野では、収入源の無いYouTubeという会社を買収するという桶狭間のような奇策に出た。メールやワープロのオフィスソフト分野では、秀吉のような多角的な積極策で、Gmailで獲得した優位を着実に伸ばしている。優位と名声が確立した検索の分野では、サーバの使用電力削減の研究や超大規模データセンターの建設等のユーザに見えない地味な所に力を注いでいる。ここは家康的である。

一つの企業の中に、信長と秀吉と家康が共存している。信長型社員と秀吉型社員と家康型社員がいる会社はたくさんあるけど、多くの企業では誰か一人が勝者になりその勝者が企業の顔になる。多彩な顔をそのまま表面に露出させているようなグーグルの不定形の戦略は、組織のあり方の全く違う可能性を示しているのではないだろうか。

id:ktdiskさんは私のことを「大企業のぶらさがり社員に対して一貫して厳しい」と言う。そう取られるのも当然かもしれないけど、私は、ぶらさがること自体を否定してはいない。無自覚的なぶらさがり社員が「働くとは何か」ということについての社会の雰囲気を醸成することを批判しているだけだ。

「ドクターやハッカーだけで会社を作る」というグーグルの第一の革命は、誰にでも真似できるものではない。しかし、「これらの媒体で流れる情報はすべての開発関係者(2005年当時の社員数約4000名の半分である約2000名)全員にアクセス権限が与えられ,共有可能な状態に置かれている」という第二の革命は真似できるし、多くの会社が真似するだろう。世の中は厳しいので、一部の会社だけがこれを真似して、他の会社がしないですむということはないと思う。

意思決定や情報流通をしないですむ会社はないので、全ての会社はグーグルの第二の革命と真正面から向かいあうことになる。そういう社会へこれから出ていく人たちに、無自覚的なぶらさがり社員が自分の経験を元にアドバイスするのは有害だと思う。

でもぶらさがること自体は批判されるべきではないし、効率的に機能するブログやWiki掲示板による意思決定は、それを排除したりはしない。まとめサイトを作る人は、そういうものが深い相互依存で出来上がっていることをよく知っている。それがもともと社会の実態であり、グーグルによる第二の革命によって、それが誰にでもよくわかるようになるだろう。