外側を向いて輪になって手をつなぐ

10人くらいで輪になって立ちます。そして、全員で回れ右をして円の外側を向き、両隣の人と手をつなぎます。

この「外側を向いて輪になって手をつなぐ」という状態が、いろんなことのたとえ話に使えるのではないか、という漠然とした話です。

たとえば、一つの国の中での社会の成り立ち。

立場や興味やものの考え方がよく似た人が10%くらいいて、考え方は違うけどそこそこ理解し合える人が両隣に10%づついて、合わせて30%くらいが相互理解の可能な範囲。あとの70%は、接点が無いというか理解し合うことが難しい人たち。

「理解できない」と言っても、道を聞かれて教えるくらいのことはできるでしょう。同じ言葉を話していて同じ社会の中にいれば、なんらなかの枠組みの中での意思疎通はできます。

でも、人間、ある距離より近づくと相手の理解しがたい面が出てきます。夫婦の関係はたいていそうでしょう。多くの人にとってパートナーとの距離は他の誰よりも近く、近い分だけ相手の理解不能な部分を見てしまうことになります。

夫婦の関係ほど近くはならなくても、相手を一人の人間と見て接する場合に、理解が困難な人がだいたい7割くらいいるのではないかという話です。

だけど、昔は、みんな円の内側を向いて立っていて、円の真ん中に立つ人がいた。有名人とかリーダーとなる人たち。

みんなが同じように円の真ん中に立つ人を見ていたから、7割の理解し合えない人たちと何となくつながっていたような気になったわけです。

本当にわかりあえる人は直接手をつないでいる少数の人だけで、その割合は、今も昔もたいして変わらないけど、ある時から円の外側を向く人が多くなって、真ん中に立つ人のことを誰も見なくなった。

それで、世の中には自分が理解できない人の方が多いということが明かになって、社会がバラバラになっているような気がしている、そんな状況だと言えるのではないかと。

だけど、みんなが円の外側を見ているというのは悪いこととは限りません。

企業のような組織について言えば、社員が内側を見ている会社よりは外側を見ている会社の方が視野が広いはずです。リスクもチャンスもよく見えていて環境の変化に対応できるのは、社員が外側を向いていてみんなが違う方向を見ていて、かつ隣の人とはしっかり手をつないでいる会社ではないでしょうか。

各人が両隣とだけしっかり意思疎通できてれば、必要な時には情報が会社全体を回ります。

企業の中の社員と同じように、企業グループの中の企業のあり方についても似たようなことが言えるかもしれません。

系列や下請けのグループは、本社すなわち内側を向いたつながりですが、現在の環境において望ましい企業同士の協力関係は、やはり少数の企業と密接な関係でつながった企業が連なっていて、その企業グループ全体が外側を向いて全方位的に発展していくような協力関係でしょう。

twittertumblrのようなサービスにおける人のつながり方も、これに似ているように感じます。http://twitter.com/にアクセスすると、ユーザごとに違う内容が表示されます。twitterには中心(となるべきコンテンツ)が無いということです。おそらくユーザ同士のfollowの関係も木構造ではなく円環に近いのではないかと想像します。

つまり、どんなに熱心なtwitterユーザにとってもfollowする/される関係にある同士は、ユーザ全体の一部です。自分がfollowしている人がfollowしている人をよく知ってたり興味が近いかと言えば、そんなことはない。多少は団子状に固まっている所があるかもしれないけど、団子が10個円になって外側を向いてて、近いつながりがある団子は両隣の二つだけ、他の7つの団子とはかなり遠い関係にある。でも、共有すべき情報は円の中をすごい勢いでぐるぐる回って循環しているというか全体に行き渡る。

「外側を向いて輪になって手をつなぐ」という状態がいろいろなレベルでフラクタルに重なって表れて来ているのが現代の社会ではないかと思います。

というか、これはむしろ現状というより目標とすべき状態を表現する為のモデルなのかもしれません。

社会全体、組織の成員全員が、同じ目標や同じ価値観や同じ世界観や同じ物語を共有するというのは不可能だし、目指すべきことでもないのです。

みんな違う方向を見ているということは悪い指標ではないのです。

そうではなくて、チェックすべき点は、次の三点です。

  1. 誰もが、少数でもかまわないので、密接な関係、密接なコミュニケーションを持てる人を確保しているかどうか
  2. 全てを共有する人同士のグループではなく、一部を共有するグループが多様な形で存在しているかどうか
  3. 人と人とのつながり方がそれぞれ個別でローカルなものであるかどうか

手をつなぐ相手が一人もいない人が何人もいたら、10人はバラバラになってしまいます。これは、みんなが内側を向いている時には深刻な問題ではありませんが、外側を向いている時には重要なことです。

手をつなぐ相手がいるとしても、たとえば、10人が3人3人4人の小グループに分かれてそのグループ同士で手をつないでいるような状況では、全体性を保つことはできません。情報の流れが分断されてしまうからです。

そして重要なことは、そういう分断が起こらないように、誰かがチェックしたり監視したりすることは期待できないということです。誰もが外側を向いている時には、全員の視線が重なるポジションはないので、そういう指示を出すことが可能なポジションはないのです。

10人がそれぞれ自律的に動くことで、「外側を向いて輪になって手をつなぐ」というフォーメーションが自然に完成するようなそういう社会でなくてはならない。10人それぞれの視界に映る世界は皆少しづつズレているべきで、違う世界を見ている人がいないことが危険信号。

そんな観点で社会の健全性を測ることができるような気がします。

それ以外に社会のまとまりを保つ方法はないのです。全員が円の中心を見ることを強制するという方法では、視野が狭くなり、社会全体としての適応力に欠けてしまいます。既に円の内側を見ている人は少ないので、それを無理なく受け入れられるような社会の方がコストがかからないと思います。


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