「序列」信仰とスモールワールドネットワーク

Here Comes Everybody: How Change Happens when People Come Together
Here Comes Everybody: How Change Happens when People Come Together

この本の9章で、著者のクレイ・シャーキーは、ネットの中で人々はこんな感じでつながるという話をしている。

この図は、スモールワールドネットワークという理論に基くものだが、ポイントは以下のような所だと思う。

  1. 上下の階層構造は無くても秩序は保たれる
  2. 全ての人や集団が対等であっても、社会がバラバラになるわけではない
  3. 集団内の緊密さや濃いつながりと、社会全体のまとまりは両立する

ネットによって、これまで「権威」とされていたものの化けの皮が剥がされ、上から下を管理する形の秩序が壊れている。その時に、人々が個別に分断化され、個人でバラバラに世界全体と対峙することになるというイメージを持っている人が多いように感じる。

たとえば、私は、「就活」という言葉が、カルト宗教のような何となく薄気味悪い不気味なものに感じられてしょうがないのだけど、それは何故かと考えてみて、就活とは「序列化された秩序の中に新しく社会人になる人を押しこんでいくシステム」なのだと気づいた。少なくとも自分がそう見ていることに気づいた。

つまり、高校生には進路指導があるように大学生には就活があるのではないか。

進路指導とは、まず第一に生徒の偏差値を見て、その偏差値を大学の序列の中にあてはめていく作業だと思う。それと同じように、就活も、大学のランクや成績やクラブ活動等の実績を偏差値的なものに変換して、それに合う中でなるべく序列が上の企業に学生を入れることになっているように感じる。

企業のポジションを「序列」の秩序の中で見る意識は、相当根深いものがあるように感じる。が、それ以上に、この秩序が壊れてしまったら、社会が機能しないと思う人も多いのではないだろうか。

古くからあるよく知られた企業が次から次へと倒れていき、名も知らない怪しげな企業が急に人を集めていて、そういう所にしか就職できないようでは、世も末だ。世の中はいったいどうなってしまうだろう、みたいな感じ。

私は、序列は壊れていくしもう戻らないと思うけど、社会の秩序は保たれるし、誰もが安心して暮らせる世の中は十分可能だと思っている。そのイメージはひとことで言えば、冒頭の図の「スモールワールドネットワーク」だ。

企業は、まさにこの図のようになるだろう。社員同士は緊密に結ばれた集団を形成し、必要に応じて外部の企業や個人や集団とつながっている。そして、必要な資源は、ネットワークを通して、どんなに離れた所からでも調達できる。スモールワールドネットワークは、接続の数が少なくても、全てのノードが間接的につながっているという状態を表現したものだ。

別の例で言えば、科学者のコミュニティも、同じように濃い小集団を形成し、その中では今まで通り、きちんとした方法論に基づく科学的な言説は生き残るだろう。違うのは、科学者のコミュニティの中で合意された結論が社会全体に行き渡る為の経路だ。

これまでは、序列化された秩序の中で、「権威」によって上からその結論を全体に行き渡らせる形で、その情報が流通した。これからは、スモールワールドネットワークの中で、近傍のコミュニティがフィルタリングと転送の役割を果たすことになる。

これまで、科学者の小集団と「権威」の間を橋渡しして、予算を取ってきたり、政策を専門的知識からレビューする役割の人がいたと思うが、そういう人の役割や方法論は、大きく変わっていく必要があるし、試行錯誤も必要だろう。

「権威」が消えてしまったら、科学者集団が世の中から消えてしまったり、専門的見地からの科学的な主張が一切通用しなくなる、と考えるのは杞憂だ。ただ、発信の方法や変わるし、橋渡しをする人に求められる機能も大きく変わるだろう。

重要なことは、「上下の序列が無くて、人と人の関係や集団同士の関係が原則対等の関係になっても社会の秩序は保たれる」というスモールワールドネットワークのイメージを社会全体で共有することだと思う。

就職支援に話を戻すと、現在の就活は、本音として「序列」という意識を消したら、どの学生をどの企業に入れたらいいか途方に暮れてしまうだろう。確かに「序列」が消えたら社会は手に負えないほど複雑に見える。

でも、スモールワールドネットワークは、必要な情報を必要な所に届ける機能は、序列による秩序よりはるかに優れている。

とりあえず手近な集団に入ってしまい、そこから、ネットワークをたどって、適した所へ移っていけば、世界中の仕事の中で一番自分に合った仕事に数回でたどりつけるはずだ。少なくともモデル上は。

就活という言葉は、「スモールワールドネットワークの中を適職を求めて順繰りに移動していく活動」として再定義されるべきだと思う。

こんなことを書くと「楽観論」と言われることが多い。確かに、「序列」という意識が消えたら、世の中は自然にスモールワールドネットワークを形成し全てがうまく回るだろう、という意味では私は楽観的だ。でも、同時に「序列」という意識が消えないと、じきに世の中どうにも回らなくなるし、それは簡単なことではないと思っていて、そこについては私はかなり悲観的だ。

学生の起業に対する心理的な抵抗が強いのも、「序列」の中での競争から降りることに対する非難なのではないかと思う。その根っこには、「序列による秩序」というものに対する盲目的な信仰があるように感じる。

このエントリは、「ネットワークの中でのポジションニング」という観点から見ると、非常に実際的でわかりやすいアドバイスだと思うけど、「序列」という意識を消して見ないと理解できないもののように感じる。

楠さんのように、多方面にわたって精力的な活動をされている人にとっては、「社会はスモールワールドネットワークである」ということは、あえて言うまでもない目の前にある現実なのだろう。

しかし、多くの学生は中学高校大学の間ずっと「序列」によってモノを見ることを習慣づけられているわけで、「自分とは関係ない別世界の人が『序列』の外から何か変なこと言ってる」くらいにしか思えないのかもしれない。もったいないことである。


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